ドリーム小説


 翌朝、はいつになくスッキリとした頭で目覚める事ができた。
────何の夢を見ることもなく、眠ることができたのは久しぶりだ。



ってから気付くもの



「おはようございます、アユ姉」

「おはよう、クン。あら、今日はいつも以上に男前な顔しとるやないの」


 は今日から賄方を手伝うことになっていた。の調理能力が壊滅的なのは歩も重々承知している筈だし、実際今までは手伝いを申し出ても断られてきたのだが。

 理由を聞いても歩は何も言わない。真意を読み取らせない歩の笑顔に苦笑を返し、は言われるがまま包丁を握った。


「それじゃあ、漬物の胡瓜を切ってくれる? ……もう、そんな顔して。大丈夫や、クン、あんだけ刀の扱いは上手いんやし」

「それとこれとは……。分かりました、食材無駄にしても怒らないで下さいよ?」


 震える手で、ゆっくりゆっくり胡瓜を切り始めた。覚束ないの手つきを、歩は温かい目で見守っている。


「ほら、出来るやないの。それが終わったら、味噌汁づくり手伝ってな」


 歩の言葉に返答する余裕もなく、は一心不乱に胡瓜を切り続けた。一本切り終わるのにありえないぐらいの時間がかかったが、何とか“任務”を完遂することが出来た────一寸の狂いもなく等間隔に切られた胡瓜から目を上げれば、目の前には何本もの胡瓜が積み上げられている。の隣では歩が小気味いい音を出しながら手際よく材料を刻んでいる。思わず、ため息が漏れた。


「アユ姉、思うんですけど……私が手伝わない方が早く終わるんじゃ」

「諦めんといて!!」


 の弱音を拾った歩は、正しく“鬼の形相”でに迫った。包丁を片手に力説する歩に気圧され、は2、3歩後ずさりする。


「……ごめんな。私がずっと、やれれば良いんやけど」
 

(そんな顔されたら、何も言えない)


「それに、これはクンの“花嫁修業”を兼ねてるんやで! 料理は出来るようになっといて困る事はあらへんよ」


 そう言って歩は悪戯っぽく笑う。誤魔化された、と思ってもそれ以上聞くことは出来なかった。は再び目の前の胡瓜と格闘を始めた。



***



「あー腹減った! アユ姉、飯できてっかー?」

「もちろんや。今日はクンも手伝ってくれたんよ」


 朝稽古の後なのか、腹を空かせた隊士達が我先にとどかどかと食堂に集まって来た。先陣を切るのは原田と永倉である。

 ────結局、が出来たのは胡瓜を切り分けるぐらいの事だった。が胡瓜と闘っている間に、歩は米を炊き、味噌汁を作り、おかずまで用意していた。
 そんな状態で堂々と名乗りを上げられる筈もなく、厨房の隅に隠れていたというのに、歩は容赦なくを原田達の前に引きずり出した。


「マジかよ!? ……お前、壊滅的に料理できなかった筈じゃ」

「初日に食べたアレ、この世の物とは思えない味だったんだケド……」


 原田と永倉の歯に衣着せぬ物言いにの額に青筋が走ったが、壊滅的な腕であることは事実なので反論も出来ず、ぐっと押し黙った。


「あら、クンは器用やし、勘もええし、何より丁寧やし。鍛えたら原田はんらよりよっぽどええ腕になると思うで?」


 裏表無い声音で歩に褒められ、は顔に熱が集まるのを感じた。そんなの顔を見て、原田と永倉はニヤニヤとしたり顔で笑みを浮かべる。


「ヒュー、熱いねえ。新撰組一の色男はアユ姉まで落としちゃったか」

「もう、変な事言っとらんと、はよ食べ! 飯時逃したモンに食べさす飯は無いで!」


 歩の一声で、原田達は一瞬で大人しくなり席に着く。何という腕前、と感心しながらは歩の配膳を手伝った。


 から給仕を受けた隊士達は先程のやり取りを聞いていたのだろうか、「比古が切った胡瓜……」「比古が握った胡瓜……」「比古の息がかかった胡瓜……」等と気味の悪い発言ばかり聞こえてくる。はあまりの気持ち悪さに感情を殺し、無我の境地で配膳を続けた。



***



「アイツはどうした」


 土方の朝は遅い。皆が朝餉を取り終わった頃にのろのろと起き出すのが常である。朝飯の片付けを終えたが土方の居室に行くと、ちょうど土方が覚醒し始めたところだった。
 そして、起き抜けの発言である。
 
 土方が“アイツ”と指す人物に大体予想は付いた。


「鉄之助君は、本日より近藤局長の小姓になるそうです」


 何を考えているのか、鉄之助がいきなりに宣言して近藤の元へと行ったのが、今朝方の事である。
 の発言に、土方は微睡んでいた目を見開き、眉間に大きな皺を寄せた。息を吐き、ただ「そうか……」とだけ呟いた。


「必要なら、実力行使で連れてきますが」

「いや、構わない。君がいれば十分だ」


 薄々感じていた事だが、土方は鉄之助に対して矢鱈と甘い気がする。職務を放棄する隊士の勝手を許すなど、“鬼の副長”と呼ばれる土方からは到底想像も出来ない姿だ。


(まあ、私には関係ないか)


 必要の無いところに首は突っ込まない────それが戦国の世でが身に着けた処世術だ。
 黙々と片づけていた書簡がひと段落した頃、近藤勇がやって来た。


「おや、くん居たのかい。丁度良かった、一局付き合ってくれないかい」


(局長の癖に暇なのか)


 態々碁盤を持ってきた近藤に半ば呆れながらも、は快く対局を受けた。
上の者に気持ちよく勝たせる技量も、は身に着けているつもりだ。


「む、むむ……」

「ほらほら、近藤さん。駄目ですよーそんなところに打っちゃ。大石取られちゃいますよー」

「おお、そうか。流石総司だな! ではここに……」

「おいおい近藤さん、そこも悪手だぞ」


 あっさり負けるのも相手の心証を悪くする事が多い。上手い具合に調整して────そう思っていたのに、近藤はの想像以上に弱かった。土方や、いつの間にかやって来た沖田が度々口を出してようやく勝負の体にはなっているものの、これでは負ける方が難しい。

 どうしたものかと悩んでいると、沖田が今思い出したかのように懐から一通の手紙を取り出した。


「あ、そうだ! 山南さんと藤堂さん、帰るの明日になるそうですよー」

「どうした、何か不都合でも……?」

「いえ、島原に泊まるそうですよ。『久々に明里と会いたい』って」


 山南とは確かもう一人の副長、藤堂は────が記憶を辿っていると、土方が鼻で笑った。


「ふ……明里と会いたい、ねえ。一日でも長く俺と顔を合わせねぇための口実だろ」

「おやおや」

「まぁだ言ってやがるのか、歳ー」


 土方の自虐的発言に沖田と近藤は呆れた顔を見せる。どうやら土方と山南は犬猿の仲の様だ。山南が戻ってきたら注意しよう──とは胸に刻む。


「残念だなあ、山南さんにも鉄クンのこと教えてあげたいのに。子供好きだからきっと歓迎してくれますよ! “誰かさん”と違って」

「そうだな! “彼になら”可愛がってもらえそうだ」


 沖田と近藤にかかれば“鬼の副長”も形無しの様だ。散々な言われようだが、実際のところ土方は鉄之助をかなり可愛がっているように思える。


「そうだ、歳! 鉄之助君といえばな……。わしはあの子に、隊服と差し料を与えることに決めたよ。まだ隊務には抵抗があるようだが、刀を握ればおのずと答えは出るものだ」

「……来た」


 近藤の発言に土方は答えなかった。襖の向こうに現れた気配に得心がいき、はすっくと立ち上がる。


「ん? くん、如何したんだ」

「私は同席しない方が良さそうなので。対局はまたの機会に致しましょう」


 そう言って土方を見れば、難しい顔をしたまま頷かれた。了承を得たと解釈して、はさっさと碁盤を片付け部屋を出て行った。


「────ご苦労、早速報告してくれたまえ」



***



 あの気配は“山崎烝”のものだった。ここ数日、頻繁に屯所を出て行く男。歩の様子が変なことと関わりがあるのだろうか────咄嗟に頭を振り、巡り始めた思考を追いやった。


(私には、関係のないこと)


 そろそろ夕飯の準備が始まる頃だ。
 歩の手伝いをするべく、は厨房へと向かった。