ドリーム小説

────山南敬助は新選組屯所の門前で、緊張で冷たくなった拳を強く握りしめていた。
 ひとつ、小さく息を吐く。昨日には京に入っていた山南だったが、何かと理由をつけてここに戻ってくるのを先延ばしにしていた。しかし幹部である自分がいつまでも屯所を避けるのは不可能であることは、もちろん分かっていた。一緒に江戸に行っていた藤堂はとっくに屯所に戻っているのだろう。



或る男達の



「あ、山南副長! お戻りになったんですね」


 嬉々として山南を迎え入れてくれたのは、勘定方の隊士だった。山南が唯一、居場所を感じられるのが勘定方だった。“副長”とは名ばかりで、隊の全てはもう一人の副長土方が動かしている。山南は笑みを浮かべ、すぐに勘定方に顔を出すとその隊士に伝えた。自室に荷を下ろし、そろばんを取り出す。
────刀を持つと手が震えるのだ。
 仲間を屠るという獣のような所業──芹沢鴨の暗殺──以来、山南はまともに刀を持つことができなくなった。あの時、一緒にその手を血に染めた土方や近藤、沖田達は、まるで何事もなかったかのように毎日を過ごしている。それが山南には、どうしようもなく、恐ろしかった。

 そろばん片手に廊下を歩いていたところ、山南は見慣れぬ顔の隊士がいることに気が付いた。そばにいた他の隊士に聞けば、彼は新しく勘定方に入った人間だという。


「いけないねえ。休憩時間はもう過ぎているよ」


 冗談半分で、山南は剣気を滲ませながら彼の首筋にそろばんを当てた。びくりと肩を揺らす様子を見て、山南は悪戯が成功したような気持ちになり、その笑みを深めた。山南の立ち位置をよく知っている古参の隊士であれば、まず望めない反応であった。


「おーう、山南さん! 戻ってきてたんっすかー!」


 仕事をさぼっていた彼に話を聞けば、原田らに絡まれる弟が心配で離れられなかったのだという。山南に弁解しながらも彼の視線はその弟を追っている。つられて山南がその方向に目を向ければ、大男(一人小柄な男もいるが)に囲まれている幼い童がいた。
 市村鉄之助、というらしい。


「初めまして、市村鉄之助君。私はここで山南敬助、ここでは幹部をやっていてね。ああ、どうせなら気軽に……“サンナン”と呼んでくれても構わないよ?」


 幹部である山南の挨拶に、市村鉄之助は居住まいを正すことなく、ぽかんとした表情を浮かべている。その拙い反応に、山南はこの少年が年端も行かない幼い童であることを実感する。


「いやしかし、こんな可愛い新選組隊士は初めてだ! まだまだ遊びたい年頃だろうに……いくつになるのかな? 鉄クンは」

「……十五っス」


 山南は童であればきっと喜ぶだろうと、小さな体を持ち上げて年齢を尋ねた。その少年から固い表情で告げられた年齢と、少年の見た目、大きく乖離した印象に山南は混乱し、曖昧な笑みを浮かべた。


「無理もないのでは? ほら、鉄之助君は見た目だけでなく行動も子供っぽいですから」


 鉄之助を下ろしたところで後ろから声を掛けられた。その瞬間、山南は言いようのない恐怖を感じた。────声を掛けられるまで、全くその存在に気が付かなかったのだ。

 刀を持たなくなってしばらく経つが、それでも一角の剣士であるという自負を、山南は持っている。人の気配に敏い筈の自分が気が付かなかったということは、即ち────


「お初にお目にかかります、山南副長。私は比古と申します」

「へーえ、クン。さっきまで上の空だったのに、こういう時ははちゃんとするんだねー」

「ちょっと永倉さん、さっき話のオチで笑わなかったからって意地悪言わないでくださいよ!」


 比古と名乗った男。よくよく見てみれば、なぜ今まで目に留まらなかったのかというほど、華やかな容姿に少年のような若々しい声音。山南は一瞬目を奪われたのちに、ぎこちなく笑みを浮かべた。


「それにしても、私が江戸に行っている間に土方君は随分と毛色の変わった隊士を入れたものだね」

「あー、まあ鉄クンもクンも、一般の隊士じゃなくって土方サンのお小姓ですシ」

「そうそう、はともかく、土方さんが鉄之助みたいなお子様に刀持たすわけねーっすよ」


 永倉と原田の、土方を庇うような言いぶりに山南は僅かに苛立ちを感じたが、いつものように笑ってそれを誤魔化した。


「ハハハ、そうかい。さてと……私はそろそろ戻るとするよ」

「えっと、山南さん! あの、何も出来ないとは思いますが、俺も行きましょうか? その……代わりに言えることとかあるかもしれないし」

「俺達も、ついていくだけなら……」


 昔馴染みの永倉らとのやり取りすら居心地が悪くなり、山南は重い腰を上げた。自分が屯所に戻ってきたという知らせは既に土方達にも伝わっているだろうし、挨拶程度はそろそろしなければならない。
────そこまで心配されなくても、私は大丈夫だ。


「ハハ、なんだい皆。これから喧嘩に行くみたいに。大丈夫だよ、子供じゃあないんだから、心配御無用!」


 苛立ちを紛らわすように、山南はそろばんの珠を弾いた。



***



「なぁ歳、俺としてはやはり一番隊に入れてやるべきだと思うんだが。鉄之助君も君も、総司を慕っていることだしな! いや、君は他の隊に入れて、戦力増強を図るのも良いか……」


 近藤の居室に向かうと、彼の大きく通る声が外まで聞こえていた。


「失礼、お二人で一体なんの相談かな?」

「おお、山南か! ちょうど良いところに来てくれた。入れ入れ」


 あの幼い少年と、得体の知れない男を隊士にするというのか。真意を問いただそうと山南は土方の方を見たが、この男は何も言わない。


「……で、相談というのは最近新たに同志となった────」

「ああ、市村鉄之助君と比古君ですか? 先刻会ってきましたよ」

「そうか、なら話は早いな! 鉄之助君は、見ての通りあの体格だろう?隊服はともかく、刀はやはり丁度いい物を探させるべきだと」

「……ちょっと待ってください」


 あの真っ直ぐな少年に、近藤達はあの、獣のような所業をさせようというのか。あの手を血に染めさせようとしているのか。いったい何を考えているのかと、何も言おうとしない男に山南はあえて尋ねた。


「あの子を隊士にするつもりなのかい、土方君。その為にあの子を入隊させたのか」

「あ、いや……二人とも会ったそばから何をそんなにカリカリと……ハハハ」

「私が見るに今のところ、彼にまで隊務を与えなければならないほど人手不足には見えないがね。あんな小さな子に君は人斬りをさせたいのか?」


 山南がぶつけた辛辣な言葉に、土方は歪んだ笑みを浮かべる。


「いや、山南、これは俺の考えであって、歳は彼を隊士にしようと言ったことは無いんだ」

「そうでしたか。土方君はいつも独りで決めてしまうから、てっきり今回もそのつもりなのかと焦りましたよ、ハハハ。それで土方君、比古……彼を入隊させたのも君なのかい」


 土方の有無を言わせぬ雰囲気に気圧されないよう、山南は語気を強めて土方に尋ねた。


「それがどうした」

「彼はいったいどういう経緯で新選組に入ったんだい。いつの間にか入隊して君の小姓になっていたという話を聞いたが、攘夷浪士側の間者ということはないのか」

「何も知らねぇでよく言うぜ」

「何……?」


 山南の心配を土方は鼻で嗤う。小心者と詰られた気がして山南は苛立ちを募らせた。


「口だけは達者だな」


 そう言って土方は山南の手元をちらりと見た。あの一件以来、そろばんだけを握り、血なまぐさい闘争から逃げている、山南の手を。
 カッと頬に熱が集まった。そんな山南を尻目に、土方はこれ以上の議論は無用だとばかりに無言で部屋を出ていく。山南は屈辱で身体を震わせた。



***



 近藤の居室から辞した土方は、苛立ちを紛らわせるように煙管に火をつけた。


「ちょーど良かったァ! 付き合ってください、土方サーン!」


 煙をくゆらせ物思いにふけろうとしたところで、狙いすましたかのように沖田が声を掛けてきた。
 沖田の主張によれば近所に評判の菓子屋があるらしく、それに付き合ってほしいのだという。近藤達とのやり取りを隣室で聞いていたのであろうから、沖田にそれ以外の思惑があることは明らかだった。それでもあの場に残るよりはマシだろうと、土方はあえて付き合うことにした。


さん、山南さんに疑われちゃってましたねー」

「ハ、刀を握らくなったくせに勘だけは健在らしい」


 弱い動物程、己の身を守るために“強者の匂い”に敏感になる。何故、北辰一刀流で鍛えた剣腕を、むざむざ腐らせようとするのか────


「またまたー。あーやって山南さんが指摘してくれるの、本当は嬉しいくせに!」


 しつこくからかう沖田を咎めようと土方は振り返る。しかし、後ろを歩く沖田が想像以上に真剣な眼差しをしていて、言葉を失った。


「大丈夫ですよ。万が一、さんが土方さんを裏切ることがあれば、私が殺しますから」

「“万が一”とか言ってる時点で、ずいぶんとあいつに絆されてるんじゃないか?」

「もう、揚げ足取りしないでくださいよ! 私は本気ですからね!」


 土方が命じさえすれば、沖田は必ずを殺すのだろう。だが────


(苦しむのだろうな、誰よりも)


 ふと脳裏に浮かんだ昏い未来を打ち消すように、沖田の腕から菓子を奪い乱雑に口へと放り込む。口内に広がる甘さに、土方は顔を歪めた。