ドリーム小説


 が歩と一緒に食事の準備をしていると、にこにこと満面の笑みを浮かべた沖田がやってきた。その手には何やら荷物を抱えている。


「あら、沖田はん。どうしたん?」

「ふふ、土方さんと一緒においしーい京菓子を買ってきたので、おすそ分けです!」


 そう言って沖田が差し出した袋の中には、色とりどり様々な形をした菓子が入っていた。



突き付けられた



「ほんま、おいしいわあ。流石沖田はんのおすすめやね」

さんもよかったら」


 は甘い菓子というものに馴染みが無かった。かつて上様の相伴に預かり南蛮菓子を食べたことが何度かあったぐらいだ。
 沖田から貰うほどではない、と思い曖昧な態度をとっていると、歩は手に持った菓子をひょいとの口の中に放りこんできた。意表を突かれたは、吐き出すわけにもいかず、眉間に皺を寄せながらゆっくりと咀嚼する。小ぶりな菓子からじわりと広がる控えめな甘みに、思わず頬を緩ませた。


「……おいしい、ですね。有難うございます」

「よかったあ! さん、土方さんと同じでいっつも難しい顔してるから、これ食べたら元気出るかと思ったんですよ!」


 眉間に皺を寄せ口をへの字に曲げた顔を作る沖田に、そんなに変な顔をしていただろうかとはムッとした表情を見せる。それを見た沖田はすかさずの口に新たな菓子を押し込んできた。
────餌付けされているみたいだ。しかし食べ物に罪は無い、と半眼で沖田を睨みながらはゆっくりと菓子の甘みを味わった。



***



 が歩の手伝いを始めてしばらく経つ。最初こそ原田ですら食べるのを拒否するほどの“暗黒物質”を作り出しただったが、だんだんと形になるものを作れるようになってきた。それもこれも、根気強く歩が教えてくれたからだ。


「うん、味付けもいい感じやね。よかったわあ、これでウチの跡はクンに継いでもらえば安心やわ」


 満足気に笑う歩の発言に、の背中に冷たい汗が伝う。


「な、何言ってるんですか! いまだにアユ姉に一から指示されないと食べられるもの作れないんですよ? 第一、アユ姉が引退するなんて、隊の皆が許してくれませんからね、絶対に」

「あら、そう? じゃあ、まだまだクンを鍛えなあかんねえ」


 歩は冗談めかして言うが、にはどうにもそれが冗談には聞こえなかった。必死で歩を説得しようとしたが、歩には通じていないようだった。


「けどごめんねえ。今日は、ウチ用事があるから、夕飯は一緒にできひんのよ」

「そ、そんな……」


 は崖から突き落とされたような気分になった。つくづく自分が自慢できるのは腕っぷしだけだと実感する。途方に暮れた顔をするの肩を、歩は安心させるようにバシバシと強く叩いた。


「一応辰之助はんにも頼んであるから。お兄さん、ご両親が亡くなられてからずっと鉄クンの為にごはん作ってあげてたらしいし、強力な助っ人やろ?」

「そう……ですね。分かりました」


 何故だかわからないが妙に胸騒ぎがした。


「アユ姉。今日、だけですよね?」


 歩がただの賄方でないことぐらいは、にも察しがついていた。歩は、沖田や土方達とも違う仄暗い空気を纏う。それは、むしろが織田信長に仕えていたころ、城内の至る所で感じていたものだ。


(“草の者”……なんだろうな)


 一人の女の最期が、の脳裏に強烈に焼き付いている。側室の女房として信長に仕えながら小姓に取り入り、敵方に情報を流そうとしていた女───その女は一切迷いのない顔で、信長の眼前で自らの命を絶った。
 歩と共に居る時、ふとあの時の女の顔がよぎる。


「もちろんや、まだまだクン一人には任せておけんよ!」


────彼女も、とても嘘の上手い人だった。



***



「すみません! さん、すっかり遅くなってしまいまして……」

「あ、いえいえ。こちらこそすみません。買い出しお願いして。重かったでしょう」


 鉄之助と辰之助に夕飯の買い出しを頼んだのは昼過ぎのはずだったのだが、鉄之助達が帰ってきたのはそれから優に一刻以上経った頃だった。買い出しの間にひと悶着あったらしい。
 鉄之助曰く、生意気な少年が偉そうな侍の不興を買い切り捨てられそうになっていたところを華麗に助けたというのだが────辰之助の表情からするに、嘘八百の武勇伝らしい。


「全く……なんでお前はそうやって鉄砲玉みたいに飛び出すんだ。頼むから少しはおとなしくしてくれよ……」

「辰兄は心配しすぎなんだよ! 別に辰兄に助けてもらわなくても俺一人でなんとかなったし」


 心労が胃の腑に響くのだろう。辰之助は腹を抑えながら懇願するように鉄之助を諭すが兄の心配は全く伝わっていないらしい。


「はは、鉄之助君も少しはお兄さんの言うことを聞いた方がいいのでは? 君がそうやって自由奔放に行動できるのも、辰之助さんの庇護があってのことでしょうに」

「うっせえ! いつもガキ扱いしやがって」


 鉄之助が振り上げた拳は軽い音を立てての掌に収まった。鉄之助は己の攻撃が通用しなかったことに本気で驚いている。ふとからかいたくなったは、掌の中の鉄之助の小さな拳をぎりぎりと握りしめてみた。


「いってえぇぇええ!! クソ! 放せ馬鹿野郎!」

「ほら、君は弱い。強くなりたいのなら、まずは弱い自分を受け入れることだ……あー…あはははは」


────調子に乗り過ぎた。
 痛みに悶絶する鉄之助の向こう側に鬼の形相をした辰之助がいる。は誤魔化そうと不自然な笑い声を出しながら慌てて鉄之助の手を開放した。



***



 歩に任された夕飯づくりは辰之助の助力を得ながらなんとか形にすることはできた。とはいえ辰之助も多人数分の調理は初めてのことだというから、二人で四苦八苦しながらの作業ではあったのだが。


「辰之助さん、ありがとうございました」

「いえ、そんなにお役には立てませんでしたよ」

「そんなことありませんよ。ご両親が亡くなられてからは辰之助さんが鉄之助君の衣食住を賄ってこられたのでしょう? 流石の腕前でした」


 辰之助が居なかったら今日の夕飯はどうなっていたか────が心の底から感謝している意を伝えると、辰之助は照れたようにぽりぽりと頬を掻いた。


「……攘夷浪士に父と母を殺されて、毎日毎日、その日の飯が食えるかどうかを心配していました。親のことより金のことばかり考えて。薄情者ですよね」

「辰之助さんが愛情をもって育ててこられたからこそ、鉄之助君はああやって健やかに成長できたのでしょう?」

「あいつは何も分かっちゃいないんです。勝手にこんな所までついてきて、仇を取ろうだなんて……!」


 は夕飯の後片付けをしながら辰之助の話を聞いていた。辰之助の語気が強まったのに釣られて振り向くと、辰之助は余った食材を手に持ったまま握りつぶしていた。


「ちょ、辰之助さん!」

「あ、す、すみません……」


 の声に辰之助は我に返ったらしく、己の手の中で粉々に砕かれた胡瓜を見るや否や床に額を擦り付けるぐらいの勢いで謝られた。
 は辰之助の勢いに圧倒されながら、慌てて辰之助の手に残る胡瓜を手ぬぐいで拭った。


「えっと……辰之助さんは間違っていないと思いますよ。仇討ちは空しいだけで、何も生みだしません」


────“あの人”のことを思い出す。
 比古門下一の忠臣だった。比古清十郎が織田信長に滅ぼされて以降、人生の全てを仇討ちに費やし、死んでいった人。が命じられて、殺した人────


さん、君は────」

「おやおやおやー? クン、今度はオニーサンにまで手を出してるの?」


 突然、揶揄う声が聞こえて振り向くと、そこにはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる永倉と原田が居た。


「適当なこと言わないでくださいよ、永倉さん」

「まあまあ、それよりオニーサンに鉄之助クンに関する重大な情報を持ってきたんだけど」

「な、何ですか!?」


 永倉の口から鉄之助の名前が出るや辰之助は食い気味に永倉達に詰め寄った。
 永倉が言うには、心の休息のためにと山南が鉄之助を先刻島原へと連れていったらしい。それを聞いた辰之助は、魂が抜け落ちたようになって固まった。


「ゴメンねー。止めりゃ良かったんだけど。まあ、平助の奴も行ってるし、問題ないっしょ!」

「問題があるとすりゃあ、“アレ”が使い物になるかどうかだよな!」

「島原……色街……置き屋……女郎……」


 鉄之助をダシにしてげらげらと大声で笑う原田達をよそに、辰之助は何やらぼそぼそと呟きだした。


「……永倉さん、原田さん、さん、今までお世話になりました。島原に、行ってきます」


 腰に刀を差しものすごい勢いで飛び出していった辰之助の眼は据わっていた。
────怖い。辰之助はこの変人ばかりの新選組の中で常識人の部類だと思うのだが、こと鉄之助の事となると、怖い。


「あーあ。俺も非番じゃなきゃあ行ったのになあ」


 嵐のような勢いで辰之助が去っていった後、原田もぼやきながら戻っていった。
 永倉はなぜか残ったままだ。探るような視線が気にはなったが、は途中になっていた夕飯の後片付けを再開する。


クンは島原には行かないの?」

「私はああいった類には興味がありませんので」


 女であるが色街に行っても意味がない。面白がって連れていかれても困るので、永倉に背を向けて片付けを続けながらもきっぱりとした口調で断った。


「まあ、キミは黙っていても女の子の方から寄ってくるみたいだし。必要ないかもネ」

「それは流石に言いすぎですよ。ただ、金を払って女を買うというのが好かぬだけです」


 永倉の口調はいちいち引っかかるものがあった。唯の世間話のつもりだろうか────永倉の意図が掴めず、自然との口調は固くなる。


「ハハ。確かにキミは女の子だし、女郎と寝る意味はないよね」


 思わず永倉の方を振り返る。
 永倉は笑顔だ────しかしその眼は、を突き刺すように捉えていた。