は夢を見ていた。
数刻前に起きた、あの悪夢のような夜の夢を────
あの人の居た世界は、あんなに遠くなってしまった
放たれた炎によって、真夜中にもかかわらず本能寺は昼のように明るく照らされていた。
本能寺はすでに何万という兵に囲まれてる。
作戦にはいつも万全を期していた光秀の慎重さが今は憎らしい。
そのような絶望的な状況でも、は刀を手に文字通り一騎当千の闘いを見せていた。
「我が名は比古！！飛天三剣流の使い手である！！我こそと思う者は名乗られよ！」
飛天三剣、比古、そう聞いて今まで血気盛んに攻め立ててきた明智勢がひるむ。
信長の下で振るわれたの剣腕は全国に轟いていた。同じ軍門であった明智勢がそれを知らぬはずもない。
その一瞬の隙をついて、は本殿に足を踏み入れようとする者達を一掃していく。
しかし斬っても斬っても、湧いてくる虫のように新たな兵士が現れる。
こうなれば命に代えてでも門への血路を開くか────
そう考えていただったが突然森乱丸に腕を捕まれ、奥の部屋へと引きずる様に連れて行かれた。
「なんだ！？乱丸」
乱丸の突然の行動には声を荒げて掴まれたままだった腕を振り払ったが、
乱丸はただ真剣な表情で応えようとしない。
「……お前はこれを着て女中達と一緒に逃げろ」
そういって渡されたのは女物の着物だった。
美しくも華美すぎず、品の良い紋様がちりばめられている。
それは沖田達が見た着物であった。
「な……何を言ってるんだ。私が上様を置いて逃げる卑怯者だとでも！？」
は心の底から怒った。馬鹿にされたと思ったのだ。
女であっても、乱丸は自分の実力と覚悟を認めてくれていると思っていたのに。
「違う……！そうではない……。
私は…お前を男として見たことは一度もない。
慕っていたんだ、ずっと前から……だからお前にだけは死んで欲しくない」
そういって乱丸はを抱きしめた。
思ってもみなかったことにの心臓がドクンと跳ねた。
「武者として剣を振るい、たとえ血に濡れていても……お前は、美しい……」
抱きしめられた身体がとてつもなく熱かった。それは迫り来る炎のせいなのだろうか。
「お願いだ……逃げて、生き延びて欲しい」
「乱丸……私はもう大切な人を置いて逃げるのは嫌なんだ。
乱丸や上様の居ない世界で生きたとしても……それは、死んでいるのと一緒だ」
「……」
────突然、の目が大きく見開かれた。
乱丸の背中に添えていた手を離し、その胸を急いで突き飛ばす。
「……！？」
突き飛ばされた乱丸が驚いて見ると、が居たその場所には赤く燃える柱が倒れていた。
しかしの姿は見あたらなかった。その場から跡形もなく、消えていたのだ。
＊＊＊
眠ったままのの目から静かに涙がこぼれ落ちた。
の身体は布団の上に移されていたが、結局着物はそのままである。
沖田はそれを静かに見つめていた。土方に見張っていろと言われたのだ。
脇に置かれた着物に目をやった。あの女物の着物は誰かから贈られたものではないだろうか。なんとなく、そんな気がした。
しかし袖の丈や帯など、明らかに最近のものとは違う。
それが何を意味するのか、本当に彼女はかの戦国の時代からやってきたのだろうか、分からない。
沖田は閉じられたのまぶたから止めどなく流れる涙を指で掬った。
眠っているとただの女の子にしか見えないのに……
────とたん、の目が大きく開いた。
やけに近い沖田に驚き、は布団の上で大きく後ずさりする。
沖田としてもばつが悪く、に伸ばしていた指で頬を掻いた。
「あ、あの……さっきはすみませんでした。いきなり乱暴なまねをしてしまって」
「いきなり何だ？」
「いえ、あなたが女子だとは知らなかったものですから……」
一瞬、沖田を睨むの眼孔が揺れた。
沖田が乱丸と重なったのだ。一瞬、本当に一瞬だけ。
それはを女扱いしたのが、今まで乱丸だけだったからかもしれない。
が女だということは織田軍では周知の事実だったが、誰もを女扱いする者などいなかった。
飛天三剣流を振るうにかなう者など、軍中でも皆無に等しかったからだ。
「私が男であろうと女であろうと関係ない。敵兵を牢に入れず、縛りもせぬとは……どういうつもりだ」
「……もう一度聞きます。あなたは壬生浪士組を知っていますか」
「知らぬ。壬生の浪士組という事か？」
「はは、だからですよ。私も土方さんも、あなたが間者ではないと思いました。
壬生浪士組の名を知らない人が間者な訳がないですから」
男は柔らかく微笑む。
不思議な男だ、とは思った。つい先ほど剣を交えたときは万人を震え上がらせるような殺気を放っていたというのに。
「あなたは侵入した形跡も無いのに、突然あそこに倒れていた。
どうしてなのか、話してくれませんか？一応言っておきますが、私たちは明智光秀とはまったく関係在りませんよ」
「……どうして此処に来たのか、それは私にも分からない」
そう言って、は顔を背けた。敵とも知れぬこの男を少しでも信用してしまったのが、ばつが悪かったのだ。
それを見た沖田は、先ほどよりも幾分か真面目な面持ちで話し始めた。
「今は、元治元年です。織田信長が明智光秀に討たれてから三百年近く経ってます。
明智光秀は織田信長を討った後、豊臣秀吉によってその三日後に討伐されました。
秀吉はその後天下を統一しましたが、秀吉亡き後、関ヶ原の合戦、大阪冬の陣、夏の陣という戦によって、
徳川家康公が将軍位に付き、徳川幕府を立てました。徳川幕府は二百年以上続いていて、今の将軍は徳川家茂公です」
沖田の説明には酷く動揺した。
「な、何をふざけた事を！徳川殿が将軍だと！？そのような事、信じられる訳がない！」
その様子を見て、沖田は困ったように頬をぽりぽりと掻いた。
「そうですよねえ……いきなり此処は三百年後だと言われても信じられないですよね。
そうだ！今から街を見に行きましょう！とは言っても、私も京に来たばかりですから不慣れな所もありますけど……」
良いことを思いついた、といった風に目を輝かせを誘う沖田には唖然とし言葉を失った。
そして何も喋らぬを良いことに、沖田はの腕を掴んで京都見物へと繰り出したのだった。
＊＊＊
「今日は良い天気ですねえ。都見物にぴったりの日じゃないですか？」
そう言って沖田はもの珍しそうに辺りの店をきょろきょろと見回す。
それを見たはフン、と馬鹿にしたように鼻で笑った。掴まれていた腕はとっくに振り払っていた。
「見物など……京には何度も来たことがあるし、興味ない」
「えーならさんが案内してくださいよー」
「は……！？お前が言い出した事じゃないか！」
馬鹿にされたというのに気にした様子も無く、さらには案内までねだってきた沖田には呆れた。
「だってぇーさんがどんどん先に行っちゃうから、私もう道分からなくなっちゃったんですもん」
そう言って、いい年をした男がぷぅと頬を膨らませる様子はいくらその男が女顔であったとて、いただけない。
「…………」
しかし沖田に言われ、は始めて辺りを見回した。
そこではたと気がついた。そこが自分が全く見たことの無い町並みだということに。