────刻は進んで幕末、京都。

 迷子になって終わった沖田との京見物の後、 勝手にを連れていなくなった事で沖田は土方にこってりと絞られた。 沖田から詳しい話を聞き、何処にも行き場がないという事が分かったをどうするか土方は頭を悩ませた。

 女であるを新撰組隊士として受け入れるわけにはいかないだろうと考えたのだ。 そして織田信長の小姓をしていた、というの話もあって結局土方の小姓になることで落ち着いた。 女中でも良いではないか、とも思ったのだが如何せんに調理能力が全くなかったのだ。




一つのりが始まりを告げる




さん!さん、さん……!」


 さっそく小姓の仕事として土方に買い物を頼まれたが屯所を出ようとしたところ、 後ろから沖田が大声で何度もの名前を呼びながら追いかけてきた。
はしばらくそれを無視していたのだが、あまりにしつこい沖田に不機嫌をそのまま顔に出して振り向いた。


「沖田さん、話を聞いていなかったんですか? これから私は比古と名乗るという事になったはずですが」

「あ、ああ……!すみません、忘れてました!」

「……はぁ……。 貴方が女の身で隊士に混ざるのは危険だ、とか言ったんでしょう」


 つい先刻の事も忘れたのか、とは大袈裟に呆れてみせた。 信長の小姓になった時も、が女だという事で最初こそ少し揉めたものの最終的には力でねじ伏せた。 だから自身は女の姿のままでも良かったのだが、面倒事が避けられるならその方が良いだろうという事で了承したのだった。


「それで如何されました?」

「土方さんにお使いを頼まれたと聞いて、 ……さんはまだ京に不慣れでしょうから、道案内をしようかと思いまして」

「要らぬお世話ですよ。 迷いそうになったら地元の方にでも聞けば良いのです。助勤殿のお手を煩わせる必要はありません」

「え、でもそれは……「そういう事ですから、これで失礼いたします」


 沖田の言葉を遮る様にがそう告げると、沖田はまだ何か言いたそうにしていたが、 結局何も言わず子豚―サイゾーというらしい―を連れて屯所へと戻っていった。



***



 沖田の申し出を断り一人で来てしまった事、それをは一刻ほどしてから後悔した。

 土方の要望は墨や紙など一般的な物ですぐに調達できるかと思ったが、土方は以外にも凝り性らしく、 それぞれに買うべき店まで指定してきていた。
────それまではいい。 指示された店を一つ一つ、街の人達に尋ねながら着実には買い物を済ませていった。 の容姿は老若男女受けがいいのか、初対面であるに対しても『綺麗なお兄さん、』と言って親切に教えてくれたし 商品をオマケしてくれたりもした。

 問題はそこからだった。 全ての買い物を終えたは、店主に新撰組屯所への行き方を尋ねた。 するとニコニコと愛想よく対応をしていた店主の顔が醜く歪んだのだ。 『あんた壬生狼なんか!?』と言うとぐいぐいと背中を押されて店から追い出されてしまった。

 店主の大声を聞いたのか、頬を染めながらに接客していた近くの店の女達も尽くの視線を避け、店の奥へと引っ込んでしまった。 その光景をなすすべもなくは見つめて、大きなため息を吐いた。
────どうやら彼らは相当の嫌われ者らしい。 仕方がないので記憶を頼りに多少複雑ではあったが元来た道を帰ることにした。
の方向感覚が正しければ、どこかの道を抜ければ元来た道を行くよりも断然近道であるはずなのだが、 如何せん先日沖田と一緒に迷子になった苦い記憶があるため、危ない橋は渡らない事にしたのだった。



***



 半刻後、 は無事に屯所 ―壬生狼の巣窟― へと戻っていた。

 おそらく道場の方であろうが、がやがやわいわいと非常に騒がしい。 このような血の気の多さが京の人々に嫌われる所以なのだろうか。 如何せんは新撰組に関して大して知っている訳でもないので判断しかねるが。 気に食わないが後で沖田にでもこの時代の情報と新撰組について聞いておく必要があるだろう、 そう思いながらはお使いの品を渡そうと土方の室へと向かった。


「副長、遅くなって申し訳ありません。ただ今戻りました」


 そう言ってが障子をあけたが、そこに土方の姿は無かった。 何処に行ったのか、と思いながらが辺りを見回していると、 剣山の様な頭をした青年―山崎烝というらしい―が副長は道場に向かった、と教えてくれた。


***


 山崎の言葉に従って道場へと向かうと、やはりザワザワと男たちの声が騒がしい。 その喧噪の中心にいるのは沖田総司と十二かそこらに見える少年だった。 防具にはヒビが入り、額からも血を流している少年を見てもう勝負はついたのかと思ったがそうではないらしい。 トドメでもさそうと言うのか、鋭い殺気を放つ沖田が少年に向かって竹刀を振り上げた。

 騒ぎが収まるまで取り敢えず傍観していよう、とは思っていたのだが、 目の前の黒い男―土方歳三―が少年と沖田の方に動いたのを見ては考えを改めた。


……あ、……さん……?」


 沖田がきょとんとした表情でぽつりとつぶやいた。

────何の音も無かった。 あれだけの勢いで振り下ろされた攻撃であったにもかかわらず、それが何かに当たった音は響かなかった。

 それを不信に思った隊士たちが見たのは、 沖田の攻撃に呆然と立ち尽くす少年、を庇った土方、のさらに前に出て竹刀を受け止めたの姿だった。


「そこのガキ、比古……何してんだ?」

「一応私は土方さんの小姓ですから、お守りしようと思いまして」


 土方の問いには当たり前のように答えた。 少年の方は呆然としたまま何も言わない。 張りつめた空気が爆発する機会を失ってなんとも微妙な雰囲気が道場に漂っている。


「……総司、何度目だ?」

「ゴ……ゴメンなさい、土方さんッ!さんもすみませんッ!大丈夫ですか、腕!?」


 そう言って沖田がに駆け寄っていった所で緊張していた空気がやっと弛緩した。 それに連れて原田達が「おい、お前大丈夫なのか!?」とどやどやとに群がった。 原田達はの袖をまくったがそこには傷跡一つ見つからない。


「総司の剣を受けて無傷って……お前の腕は鋼鉄で出来てんのか!?」

「いや、そんな訳ないじゃないですか。往なしただけですよ。こう……クイっと」


 事もなげに腕を振って見せるに隊士たちはすげぇ……と感嘆の声を口ぐちに漏らす。 その中でも取り分け感動したのが局長である近藤だったようである。


「素晴らしい、素晴らしいぞ!!君、鉄之助君!!!」

「へ……?」

「敵に背を向けることなく最後の一歩まで立ち向かう!!幼いながら立派な武士だ! そしてその細腕で、仕える人間を命を懸けて守るその姿!! 男たる者、やはりこうでなければ……!!」


 近藤は感涙に咽びながらそう力説する。 命を懸けたつもりは到底ないは何とも言えない気持ちでそれを見つめた。


「新撰組には君達のような男が必要だ! 君もその腕前を持ちながら小姓はもったいない……!!」

「え……」

「じゃあ、採用……?」

「それは出来ねえな。 童を雇うほど人手に困っちゃいねえ。比古も俺の小姓のままだ」


 近藤の言葉に目を輝かせた少年の言葉を土方はキッパリと切り捨てると、なおも食い下がる少年に耳を貸すこともなく道場を後にした。 はお使いの物を渡していなかった事を思いだし、そのまま土方の後を追っていった。


────残された者達の心中は様々である。 そしてこの騒動により、いつの間にか入隊し土方の小姓となっていたの存在が、良くも悪くも新撰組全体に知れ渡ってしまったのだった。