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「……妙ですよね。張の口封じの為に暗殺者が差し向けられるかと思ってたんですけど」

「ああ、まるで張から好きなだけ情報を得て下さいといわんばかりだ」


 張の尋問中、斎藤も同じことを感じていたらしい。 京都大火への対応だけでも大変だというのに、それだけでは終わらない嫌な予感がするのだ。


「方治は策略、謀略に長けた男です。 おそらく、十本刀の一員にも伝えていない“何か”があるはず……」


 しかしその“何か”が分からない。 それでもその“何か”が分からなければ、新月村のような未来がこの国を待っている。 志々雄の計画の全貌が見えない今、はある考えを実行に移そうとしていた。



君は処で、何を



 斎藤から許可をもらったは御庭番集の協力を得るべく、葵屋へと来ていた。 一刻も早い方が良い、と夜が明けるのを待たずに来てしまったが 出直した方が良いかもしれない。 夜の営業も終わったのか葵屋の灯りは全て落とされて寝静まっている。


(とりあえず、書き置きだけでも残しておくか……)


 そう思って、は勝手口の木戸をそろりと開けた。


────シュッ


 暗闇の中から飛んできた暗器をは避けてその出所を探った。 昔取った杵柄で、夜目はよく利く。


「お増さん……?」


 それはかつての仲間だった。 増は震える手でに向かって武器を構えている。


「あ……ちゃん……?」

「いったい、どうしたんですか」

「ご、ごめんなさい。ちゃんと説明するから、中に入って?」


 増はを狙ったわけではなかったらしい。 と気が付いた後はすぐに武器をしまい、を中に招き入れた。


「それで、何をそんなに警戒してるんです」

「あのね……翁が……」


 増のその言葉には最悪の事態を想像して青褪めた。


「まさか、」

「生きてはいるの。でも、全身の縫合合わせて百三十八針。 医者の見立てでは生きているのが奇跡だって……」


 増はそう説明しながら今にも泣きそうな顔をしている。 は案内された一室で、全身包帯姿の翁を見て顔を歪めた。


「翁をここまでにするとは……いったい誰が……いや、そうか……」


 思い当たったのは一人だった。 増によると、四乃森蒼紫が翁を斃した後に葵屋に来たという。


(剣心の居場所を知るためだけに、翁を? ふざけるな)

「あのね、これ……翁からちゃんに渡すように、って」


 そう言って渡された、翁からの書き置きをは急いで読んだ。 その内容は翁が自分が殺された後のことを想定して書かれていた。


「これは儂が決めたことだからお前が気に病むことはない……か」


 書き置きには、翁らしい優しさが綴られていた。


「ごめんね、ちゃん。翁が御頭と戦うって決めたとき、絶対にこのことは言うなって翁に言われてたの」


 そう言って気まずそうな顔で、増はを見た。 しかし蒼紫との軋轢を翁が教えてくれなかったことに対して、責める気持ちは湧いてこなかった。 蒼紫はきっと、変わってしまったのだろう。 以前の蒼紫しか知らないは、きっと翁を止めてしまっていた。


(絶対に、蒼紫を止めないと)


 蒼紫は“最強の証”を求めて、かつての仲間まで殺そうとした。 このまま放っておけば必ず蒼紫自身が後悔する。 そのためには、行かなければならない場所があった。


「増さん、剣心に教えた“比古清十郎”の居場所。教えて頂けませんか」


 そうして教えてもらったかつての師匠の場所へ、は向かった。 喧嘩別れした師匠に再び教えを請うのは、ずいぶんと虫のいい話だとは分かっている。


(それでも、今よりも強くならなければ。きっと蒼紫を止めることなんて出来ない)


 歩き出した先の東の空は、既に白み始めていた。




***



 予想通り、師匠は人里離れた山奥に住んでおり、 そこへ辿り着いたときには、夜は完全に明けていた。

 話し声のする方へ気配を殺して近づいていくと、 剣心と師匠が相対している。は草陰に身を隠して二人の様子を観察することにした。


「……欠けているものが見い出せぬ中途半端なままでは奥義の会得はもちろん 志々雄一派に勝つこともまず無理だろう。 百歩譲って仮に勝てたとしても、心に住み着いた人斬りには絶対に勝てん」


 枷を外した師匠の姿を、は初めて見た。 剣心に“引導を渡す”と言う師匠の剣気は、重苦しい殺気に満ちており、 気づけばの手は小刻みに震えていた。 それを正面で受ける剣心は尚更の様だ。


(恐れているのだ、『死』を)


それでも『死』への恐怖を押さえつけて、剣心は“無形の位”をとった。


────そこに放たれた師匠の“九頭龍閃”は絶対的な『死』を思わせた。 それを打ち破ったのは、“死をも恐れない覚悟”ではなく、『死ねない』という剣心の生きようとする強い意志だった。


「気にするなよ、『天翔龍閃』の伝授の結果は、御剣の師弟の運命だ。 お前の『不殺』の誓いの外のことだと思え……」

「師匠……?」


 飛天御剣流奥義『天翔龍閃』、不殺の逆刃刀で放ったはずの其の技は、師匠の身体を大きく抉っていた。 剣心の酷く動揺した声が聞こえる。

 は凍り付きそうになる自分の心と体を叱咤して、飛び出した。


「剣心、変に揺らすな! そこに仰向けに寝かせろ!!」

……どうして此処に!?」

「そんなこと今はどうだっていいだろ、お前また“人斬り”になりたいのか?」


 突然現れたに驚く剣心を怒鳴りつけ は師匠の身体を注意深く観察した。


「強い衝撃のせいか……? 心臓が止まっている」


 仰向けにした師匠の胸に耳を当て、は注意深くその音を聞いたが何も反応がない。 息がしやすい体勢にして、師匠の心臓に刺激を与えるようにはその胸を強く押し続けた。 強靭な筋肉に守られた身体、今は皮肉にも妨げになっていた。


「剣心、今から、言う薬草を、探してきてくれ。 ……すぐに、だ!」

「……っ。ああ、分かった!!」


 息を切らしながらも全力で師匠の胸を押し続けるに圧倒された剣心は 指示通り森へと走っていった。


「くそ、死なないでくれよ、師匠。 俺、教えてもらいたいことも、伝えたいことも、まだまだ、いっぱいあるんだ」


 そういっては必死で師匠の心臓に刺激を与え続けた。




***




────どれぐらい続けていたのか分からない。 数百回だったろうか、それともそれ以上だったろうか。 永遠にも感じられたその時間の後、師匠が息を吹き返したのが分かって、 は大きく息を吐き出した。



 それでも予断は許されなかった。 は師匠の身体を小屋の中へ運び、布団の上に横たえた。  切り裂かれた着物を脱がせて、傷の具合を探る。 どうやら内臓に大きな損傷はなさそうだ。 あばら骨も折れていない、これなら何とかなりそうだ。

 ほっと息を吐いて、は抉れた肉の手当てを始めた。 そうこうしているうちに、薬草を持った剣心が帰ってきた。 集まった薬草を煎じて師匠に飲ませる。 その呼吸は既に落ち着いている。 は壁にもたれて座り込んだ。


、ありがとう」

「何のこと?」

「お前のおかげで、師匠を死なせずにすんだ」


 の隣に座った剣心はそう言って微笑んだ。


「俺も良かったよ。今度は、大切な人を助けることが出来た」


 は椿のことを思い出していた。 椿はに隠密としての居場所を与えてくれた。彼女を守れなかったことを、はずっと後悔している。 その後悔が消えるわけではないけれど、師匠が生きていてくれたおかげで、 心を覆っていた暗い靄が晴れたような心地がした。

 穏やかな表情で眠る師匠を見ながら は深く息を吐いた。
────今度こそ、死なせずに済んだんだ。



“あの時”の事は今でも夢に見る。 ……そのせいだろうか。 十年以上経ったというのに、未だに“あの時”の彼女の表情も、臭いも痛みも全てはっきりと覚えている。