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かつて新撰組最強と謳われた剣士はここ最近、体調を崩す事が多くなっていた。
嫌な咳をする、そう思った俺は一度彼に確認したことがあった。
────彼は笑っていた。
土方さん達には言わないでほしい、という。
彼は知っていたのだ。労咳を患っているということを。
届かなかった手
それ以来、は沖田総司の秘密の共有者になった。
表立って医者にかかれない沖田の代わりに
は隠れて良順の所へ薬を貰いに行くことが多くなった。
沖田は他の隊士の前では気丈に振舞っていたが
顔色は優れず、咳も一度始まると中々収まらないことが多くなった。
それでもは沖田が皆に言わない限り、自分からそれをばらすつもりは無かった。
『御庭番たるもの、一度任された務めは何としても全うせねば』
それがが椿から教わった御庭番衆の矜持だ。
沖田自身のためにならないと分かっていたが、
それでも沖田の願いを無下にする事はには出来なかったのだ。
***
────ゴホッ…ゴホッ……
沖田の部屋から押し殺したような咳の音が聞こえた。
それがいつもより苦しそうな気がして、
心配になったはそっと襖の隙間から沖田の部屋を覗き見た。
────ゴホッ…っ……う……
止まらない咳を何とか抑えようとしているのか
沖田は顔を布団に押し付けていた。
口元に押し付けた布団が赤く滲むのが見えては息を呑んだ。
(もう喀血の段階まで来ているなんて……)
は静かに襖を開けると他の隊士に聞こえない音量でささやいた。
「沖田さん、安心してください、良順先生を連れてきますから」
「くん、こんな夜更けに一人でだなんて危険ですからっ……」
「大丈夫ですよ、
沖田さんも知ってるでしょう、俺に勝てる人はそうそう居ないって」
それでも、と食い下がる沖田を布団に寝かせては急いで屯所を出た。
沖田の病状が悪化したときにはすぐに知らせろ、と良順に言われていた。
深夜であっても来てくれるはずだ、とは良順の元へと向かった。
***
提灯をつければ火を気にしないといけなくなる。
夜目が利くは闇の中を唯ひたすらに駆けた。
────むら、ばっとうさ
静まり返った京の街。その遠くの方で怒声が聞こえた。
女の声だった。
嫌な予感にの背中が泡立った。
考える間も無く足はその声が聞こえた方へと向かっていた。
***
近づけば近づくほど、濃い血の臭いがの鼻をついた。
その出元は細い路地の奥にある廃墟のようだった。
は躊躇することなく中へと入り、奥の階段を駆け上がった。
────そしてまさしく死闘の現場を見たとき、の思考は停止した。
「剣心……? 椿……!?」
剣心と椿、二人がなぜ闘っているのかという疑問と同時に
椿の足元に致命傷に近い量の血が流れていることに目が奪われた。
「!?」
「…なんで来たんよ……」
そう小さく呟いての目の前で椿が崩れ落ちた。
その姿を見ては一瞬息をするのを忘れた。
「、なんでお前ここに……」
剣心も目に見えて動揺していた。
────そこから先はよく覚えていない。
気がついたら剣心に刃を向けていて、
怒りの感情をそのまま飛天の剣に乗せて剣心にぶつけていた。
飛天御剣流は天を舞う剣だ。
天井の低い屋内での戦いには向いていない。
それでも条件は剣心も一緒だ。
は隠密の技も駆使して剣心に斬りかかった。……実力は互角に近い。
未だと戦うことに躊躇している剣心を圧倒することは難しくなかった。
***
剣を交えてぎりぎりの闘いを続けるうちに、
剣心の繰り出す重い斬撃をまともに受け続けたせいで、の手は痺れ始めていた。
別れてからの数年で、剣心は確実に力をつけ、体格も変わっていた。
師匠の元で修業をしていたころは、仕合をすれば必ずが勝っていたというのに。
目の前の剣心に斬りかかる最中も、後ろに倒れる椿のことが気にかかって仕様がなかった。
まだ息はある。
今すぐ、剣心を倒して手当てをすれば助かるかもしれない。
既に剣心の脇腹と肩口にはの攻撃が入っていた。
流れ続ける血は、いつ気を失っても可笑しくない量だというのに、
それでも剣心は倒れない。
も同様に、避けきれなかった斬撃を受け多くの血を流していた。
身体はどんどん冷えていくのに頭はこの状況を処理できず、熱に浮かされた様にぼうっとしている。
────それでも、負けられない。
は渾身の力を込めて、龍翔閃を放った。
剣心の喉元を刀の腹で打ち上げる。
本来の方法ではないが、急所にまともに入ったのか、倒れた剣心は起き上がれないようだった。
「っつばき……」
これでやっと椿の手当てが出来る、と息を吐いた瞬間、
の背中に激痛が走った。
攻撃したのは、剣心の仲間だったのだろうか。
見知らぬ男が剣心を抱えて出ていくのが掠れていく視界の中で分かった。
***
油の臭いと色々なものが燃える焦げ臭さが、飛びそうになる意識を引き戻す。
あの男が去り際に放火したのだろうか。
あたりは既に炎に囲まれている。
は動かない身体を引きずって椿の元へと這っていった。
止血をしようと椿の身体に手を当てた。
────周りはこんなに熱いのに、椿の身体は冷え切っている。
よく見れば、自ら毒を含んだのだと分かった。
もう起き上がる気力も体力もなく、
は唯々すべてが燃えて消えていくのを眺めることしか出来なかった。