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 気が付けば、拠点としている旅館に戻っていた。


「緋村、君にそこまでの傷を負わせるなんて、 相手はいったいどんな手練れだったんだ?」

「すみません、桂さん。何もお答えできることはないんです」


 心配してくれる桂に対して、剣心は何も言うことが出来なかった。 廊下であの男が、を殺したことをまるで自らの武勇伝のように語っている。 今すぐにそのおしゃべりな口を黙らせてやりたかったが、 剣心自身、それは自分に都合の良い責任転嫁だとわかっていた。


────どうしていつも自分は、大切な人を守れないのだろう。


 ふらつく足に叱咤して、剣心は新選組屯所へ向かった。 もしかしたら、自分と同じように、も仲間によって助け出されているかもしれない。 そんな淡い期待を抱いていた。




がる世界




 中の様子を垣間見ようとして、木戸の隙間に顔を寄せたところ、 突然後ろから声を掛けられた。

 のことに気を取られていたとはいえ、自分が全くその気配に気が付かなかったことに 剣心は動揺した。 激しく胸を打つ心臓を押さえつけながら、剣心は後ろを振り返った。


────沖田、総司。


 その男は剣心が遊撃剣士に命じられてから、何度も剣を交えてきた相手だった。 しかし明るい声とは対照的に、以前に比してその身体はげっそりと痩せ、顔には死の影が色濃く浮き出ている。


「人斬り抜刀斎さん、あなたの方から仇を取られに来てくれるなんて嬉しいなあ」


 沖田はそう言うと、こけた頬を上げてにっこりと笑った。 自身の特徴的な赤い髪と十字傷は隠していたのだが、この男にはあっさりと見破られていたらしい。


「仇……?」

「あなたに殺された“くん”の仇ですよ。」


 そう言って沖田は刀を抜いた。 剣心も合わせて抜刀術の構えを取ったが、に手酷くやられた傷で満足に闘えそうにはない。 両者一歩も動かない膠着状態が続いた。

 乾いた風が二人の間を強く吹き荒れた瞬間、突如として沖田は激しく咳き込み始めた。 その音に気が付いたのか塀の中から隊士がこちらに向かってくるのが分かった。

 それに沖田も気が付いたのか、息を整えると何も言わずに刀を納め、屯所の中へと戻っていった。





***





 『自身と同様にも仲間に助け出されたのではないか』という 剣心の甘い願望は沖田の言葉によって打ち砕かれ、 定まらない足取りで剣心はと闘ったあの廃屋へと向かった。

 そこはもともと家屋が密集した場所だった。 夜中に起きた火事に消火が間に合わなかったのか、近くの家屋は全て燃え落ちていた。

────何人もの人が、死んだらしい。

 足が震えた。 今まで幾多の命を奪ってきたが、それは自ら刀を持つことを選んだ者。 自分が守ろうとした、平和に生きる人達の命を、生活を、自分は奪ってしまったのだ。 いったい何のために闘っているのだろうと、剣心は拳を握りしめた。

 崩れ落ちた家の瓦礫が足や手を傷つけるのも構わずに、 目的も分からないまま、剣心はがれきの中を漁った。 敷地の半分程の瓦礫をひっくり返したあたりで 剣心は自身の腕がざっくりと切れているのに気が付いて手を止めた。 急いで辺りを探れば、瓦礫の中から見覚えのある一振りの刀を見つけた。

 煤まみれになっているが、見覚えのある剣桜の家紋が鍔に刻まれている。 紛れもなく、それはの刀だった。 師匠の元で飛天の修行をしていた頃から、が我が身の様に常に身に着けていたのを剣心は覚えている。 大切な人の物だとは言っていた。

……もしもが無事ならば、何よりも大切にしていた刀を置いていくはずがない。 剣心は墓標のようにその刀を地面に突き刺すと、ふらふらとその場を後にした。




***




 『新選組の“”は人斬り抜刀斎との戦闘で死んだ』


 ということになっていた。



 これはを炎の中から助け出した沖田の苦肉の策であった。 女であるが新選組の中で十分な治療が受けられるはずもない。 かといって、何日も屯所に戻らなければ脱走と見做され切腹は必至。

 かくして、は良順の知人の西洋医の元で"一人の女"として治療を受けることになったのだ。


────がそのことを聞かされたのは、剣心との死闘から数日後、ようやく意識を取り戻した後だった。 すぐにも飛び出そうとするに、状況を説明に来た良順は沖田の病状が更に悪化していることを告げた。 それは、あの炎の中で焼けた空気を吸ったことが原因だとすぐに分かった。 は自分のしようとしたこと全てが裏目に出たのだと悟った。


 それから数日、はただ食べて寝るだけの人形のようになった。 誰に発破をかけられても、何も反応しない。 そんな毎日が続いていた時、見舞いに来た良順が一振りの刀をの前に差し出した。


「あの現場に残っていた。見覚えがあるんだが、これはお前さんのじゃねえか?」


 煤まみれになっていたが、鍔に刻まれた剣桜の家紋はそのまま残っていた。

────これは、の大切な人のもので、其の大切な人の命を奪った刀だ。 は自分が決して立ち止まってはならないことを思い出した。 大切な人の命を奪ってまで得た、この生を、自分は全うしなければならない。


 が怪我で動けない間にも、 時代は前へ前へと進み続けていた。
────王政復古の大号令の発令、新選組の分裂、鳥羽伏見の戦い…… はそれらに関わることすら出来ない苛立ちをぶつけるように、 治療を受ける医師から西洋の医術を学んだ。 昔、脱藩してまで学んだというその男の医術は、 の習得した御庭番衆の秘術と親和性が高く、 はみるみる内にその知識を吸収した。




***



 ようやく満足に体が動かせるようになったとき、は沖田が療養するという江戸へと向かった。 鳥羽、伏見での戦闘を皮切りに、新政府軍と旧幕府軍の闘いは本格化し、 道中は混乱を極めていた。 新選組の人間が沖田の見舞いに来る可能性も高かったため、 途中で女の恰好に変えて行くことにした。


「ああ、驚いた。とても綺麗ですよ」

「見え透いたお世辞を言わないで下さいよ、沖田さん」


 女装をしたの姿を見た、沖田は軽く目を見開いたあと、にっこりと笑った。 そんな沖田の明るい調子に巻き込まれ、は謝罪の時機を逸してしまう。 次いで「今の姿では何と呼べばいいですか?」と聞かれたので、は“”という名前を伝えた。


さんが元気になってくれて本当によかったです。 無理してこんな所に来る必要なかったんですよ?」

「沖田さんにどうしてもお礼が言いたかったんです。 あの時、助けて頂いて本当にありがとうございました」


本当はお礼よりも謝りたかったのだが、沖田はそうさせてくれそうにはない。


「もとはと言えば、ボクのためにあんな目に遭ってしまったんですから、 気にしないでください」


 医術を学んだには、沖田の死期がはっきりと分かってしまった。 泣きそうになるのを必死でこらえるに、沖田は一つの依頼をした。


さんに、こんな事を頼むのは間違ってるって分かってるんです。 ごめんなさい、でも……」


 沖田は言いかけたところで逡巡して言葉を止めた。 しかしその言わんとしたことを察したは沖田のやせ細った手を強く握りしめた。


「私はこれから北へ向かおうと思っています。 新選組のみなさんが心配ですから」


 の言葉に沖田は苦しそうに眉根を寄せた。

「ごめんなさい……ありがとう、ございます」


 骨と皮だけになってしまった身体を折り曲げ、沖田はに深く深く礼をした。 本当は自分自身が行って土方や近藤と共に闘いたいのだろう。 しかし現実は歩くことすらままならない。 そんな沖田の葛藤が伝わってきて、はそれ以上何も言葉を掛けることが出来ず、 静かにその場を離れた。



────それからの戦いは本当に悲惨だった。 は顔を変えて、新選組の新規隊士として北へ北へと向かった。 宇都宮城での攻防、会津戦争に加わり、蝦夷へと渡り函館五稜郭に入った。 銃撃の雨を潜り抜けて負傷兵の治療にあたり、敵兵を斬り捨てた。 それでも時代の流れには逆らえず、最期は他の新選組隊士と共に新政府軍へ投降した。

 謹慎が解け、解放されたときには既に沖田の訃報は届いていた。 しかしその後十年近く、が沖田の墓に参ることはなかった。 近藤も、土方も、誰一人守ることの出来なかった自分が、 沖田に会わせる顔などないと思っていたのだ。





***




 師匠の寝顔を見ながら、自分の話をして、剣心の話を聞いて、全てを話終わったころには 随分と気持ちが軽くなっていた。


「そういえば……どうしては此処に来たんでござる? 警官としての仕事は大丈夫でござるか」

「それは、」

「……おい剣心、喉が渇いた。沢で水汲んで来い」


 師匠のところに来た理由を剣心に問われ、蒼紫の事を話そうと口を開きかけたは 比古清十郎の声で口を閉ざした。 比古の命令に剣心はぐだぐだ言いながらも沢に水を汲みに行く。 残されたは目を覚ましたことに対する安堵よりも、過去の話を聞かれたかもしれない恥ずかしさの方が勝っていた。


「いったい何所から聞いていたんです」

「最初からだ」

「盗み聞きだなんて人が悪い」

「阿呆。お前達が人の前で勝手に話し始めたんだろうが」


 顔を赤くして文句を言えば、あっさりと返されてしまう。 こんなやりとりが、喧嘩別れする前の日々を思い出させて、は胸が熱くなった。


「それで、どうして今更俺のところに来たんだ」

「止めたい人がいるんです。そのためには飛天御剣流の奥義が必要なんです」


 そう言っては比古に頭を下げた。 比古に対する気まずさは残っていたが、形振り構っていられない。 もう大切な人たちが苦しむ姿は見たくないのだ。


「何所から見ていた?」

「剣心が、師匠の九頭竜閃を天翔龍閃ではじき返したところです」


 唸るような低い声で比古はに問うてきた。 嘘を吐く必要もないのでそれには素直に答える。


「お前なら一度見た技は再現出来るんじゃないのか」


 確かに、剣心と飛天御剣流の修行をしていた頃からにはそれが可能だった。 幼い頃から剣術の基礎を叩き込まれてきたの膨大な経験値と、 天性の勘の良さから成せることだった。


「……はい」

「そして今のお前なら分かるはずだ。 お前にあの技は“出来ない”ことも」


 剣心と修行していたころの幼い自分なら、頭では理解していても感情に任せて反発していただろう。 だが今のは比古の言わんとしていることも十分に納得している。


「天翔龍閃を放つ際には、身体に甚大な負担がかかる。 奥義として闘いに使用するためには、師匠のような鍛え上げられた鋼の肉体が必要です。 ……俺のこれからの剣士としての人生と引き換えに“一回”といったところでしょうか」

「そこまで分かっているのに使うのか」


────“天翔龍閃”を使えば、今までのように闘うことは出来なくなる。 その事実を突き付けられてもの心は不思議と穏やかだった。 息子として育ててきた甚太、そして剣心、翁、操……蒼紫。大切な人達の顔が脳裏に浮かぶ。



「大丈夫ですよ、師匠。 俺、“生きる理由”が見つかりましたから。 もう師匠の“とっておき”を失っても、死んだりしません」


 の穏やかな顔を見た比古は、呆れたようにため息を吐いた。


「……馬鹿弟子はいくつになっても馬鹿弟子のまんまだな」


 突き放した物言いだったが、比古が自分をまだ“弟子”だと思ってくれていることが には何より嬉しかった。