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 は剣心と二人山を下りた後、ふもとの警察署で馬車を手配してもらい、 斎藤の元へと向かった。 京都大火の決行日時は刻々と迫っており、馬車の中からは幾人もの見回りの警察官を見た。 しかし沢尻張の取り調べをしたときからの違和感は未だに拭えずにいる。 志々雄真実が本当に京都大火だけで事を終わらせるのだろうか。



京都大



 斎藤が居るという警察署の一室にと剣心は通された。 斎藤は中央に置かれた机の上に広げられた地図を睨みつけている。 京都大火の情報を斎藤から聞かされた剣心は達と動揺の疑念を抱いたらしい。


「おそらく……この京都大火の裏には十本刀の一員にすら全く秘密にされている、 何かもう一つの別の狙いがあるではござるな」


 そうつぶやくと剣心は斎藤の持つ日本地図の京都周辺を見ながら、 志々雄真実の思考を読むようにその周辺をなぞった。


「京都、大阪…………そうか! 斎藤、幕末の鳥羽伏見の戦いで、将軍徳川慶喜が味方を欺き大阪湾から船で江戸へ逃げ帰り、 その行動が官軍の大きな勝因となった」


 剣心の言葉によってと斎藤も志々雄の意図に気が付く。


「つまり今度はその勝因を志々雄が皮肉を込めて自分の勝因にしようとしている、と」


これで京都大火の情報があまりにあっさりと漏れてきた事に得心がいった。 京都大火は囮で、志々雄真実の真の狙いは政府の中枢である“東京”だったということだ。


「海上に出られては手の打ちようがなくなる! 時間がない、急ぐでござる!」


 ここ京都から志々雄の船が出るであろう大阪湾まで、馬車を急がせたとしても半日はかかる。 先頭を切って扉を開けたは、その向こうに居た意外な人物に驚いた。


「……うぇっ!?」


 出会い頭にをいきなり殴ってきたのは相楽左之助で、 気が急いていたは、思わぬ攻撃を体勢を崩しながら何とか避ける。 さらに左之助はの後ろに居た剣心を殴り、 剣心は突然の事に反応できなかったのか、まともに入った攻撃が足に来ているようだった。


「今度は、置いてきぼりになんてさせねえぜ」

「左之、どうして此処に……?」

「どうしてって、お前の“力”になってやるために決まってんだろうが!」


 倒れかけたところを左之助に支えられた剣心は、その言葉を聞いて穏やかに笑った。 先日の留置場での時にも感じていたが、確かに相楽左之助は東京に居た頃よりも各段に力をつけたようだ。


「“足手まとい”の間違いじゃないんですか。ねえ、斎藤さん」

「そうだな」

「あんだと!ってかお前も避けてんじゃねえよ!!」


 何でお前に殴られないといけないんだ、と言い返したいところだったが、 時間が無いのでは喉元まで出ていた嫌味の数々をぐっと飲み込んだ。

 馬車に乗る人数が増えてしまったので、 少しでも足を速くするためには京都に残ることになった。 囮とはいえ、京都大火は絶対に阻止しなければならない。 慌ただしく馬車に乗り大阪へと向かった剣心達を見送り、は署長達と京都防衛作戦の詰めの作業に入った。



***



十一時五十九分、京での闘いが始まった。



 は総合指揮官の傍らで京中から伝達される報告を聞きながら、 その首尾を地図にまとめていく。 長い年月をかけて京中に網を張り巡らせた御庭番衆の協力を得たからだろうか、 未だ小さな火の手も上げることなく、着々と志々雄側の雑兵を鎮圧、捕縛出来ている。


────しかししばらく経ったところで不穏な報告が達の元へと入った。 奇怪な武器を持った男が南禅寺の近くで警官達を多数殺害しているらしい。 嫌な予感がの背中を冷たく流れた。

 操達がいる葵屋は南禅寺から程近い。 ここまで小さな火種ですら潰せているのは御庭番衆の活躍がある。 志々雄側が御庭番衆の存在に気が付いたのだとしたら。 は後の指揮を署長に任せ、葵屋へと走った。



***



 を待っていたのは異様な光景だった。 心配していた操は無事のようだったが、操がしゃがみ込んで見る視線の先には殺気に満ちた"二人の男"が立っている。 一人は先日と対峙した『盲剣の宇水』で、もう一人は恐らく十本刀の『明王の安慈』だろう。 お互い睨み合ったまま微動だにしない。

 傍に神谷薫が居たので経緯を聞くと、操が宇水に背後を取られ殺されそうになった所を安慈が助けたらしい。 なるほど分からん、とは思った。 そして、あれだけ珍妙な奴らを十人も集めたのだから一枚岩ではないのだろう、と勝手に納得する。


「でも、何時までもああやって殺気を垂れ流されてたんじゃあ堪らないよね」


 はそういって薫に同意を求めたが、「そんな簡単なことじゃないでしょう!」と怒られた。 まあとしてもあの二人に分け入って無駄な戦闘をするのは避けたかった。

────ふむ、と顎に手を当ててはしばし考え…… そして小さく呟いた。


『耳、治って良かったねえ。宇水さん』

「え、なんて言ったの?」


 隣に居た薫には聞こえなかったらしいが、思惑通り“異常聴力”の宇水には届いていたらしい。 宇水の目がをとらえた。 つまり目の前の安慈から目を離したということだ。

 均衡は解かれた。 おそらく二人ともこの場を去るだろう。 は、意地の悪い微笑みを浮かべて宇水を見返した。 それを見た宇水は舌打ちをして、引き上げていった。安慈もそれに続く。

 二人が去っていった後、腰が抜けている操を屋根から降ろした。 特に傷などないことを確認してを息を吐く。


「なんにせよ、君たちが無事で良かったよ。 何かあれば剣心が気にする」


 操は弱者のように心配されるのが納得いかないのだろうが、宇水に背後を取られたこともあって、 頬を膨らませ不満そうにしながらもの話を聞いている。


「御庭番衆の協力には感謝しているけど、あんまり無茶はしないでね」


 そう言って再び本部に戻ろうとしただったが、いきなり腕を掴まれてつんのめった。 振り返れば、薫が顔を赤らめたり青くさせたりしながら口を鯉のようにぱくぱくさせている。


「どうした? 抜け出してきたから、あんまり長居出来ないんだけど」

「ご、ごめんなさい! こんな時に聞くことじゃない、ってわかってるんだけど……
 あなたと剣心って……」


 そこまで言って薫は黙り込んでしまった。 は意図がつかめず小首を傾げた。 しかし中々薫は続きを言おうとしない。

 この状況に最初に我慢が出来なくなったのは操だった。


「あーもう、じれったい! ! 薫さんはねえ、剣心とアンタが恋仲なんじゃないかって疑ってるの!!」

「え、ああ。そういうこと?」


 薫の挙動不審に納得がいったは考えを纏めようと黙り込んだ。 その一挙手一投足をじっと薫が見つめてくるのが分かる。


「うーん……剣心ねえ。仲間でもなかったし、友達でもないし、あえて言うなら家族みたいなもんか。 まあ色恋の目で見ることはまず無いね。こっちはあいつが寝小便垂れてた頃から知ってるんだし」


 自分で言っておきながら、随分と曖昧な答えだなあとは思う。 薫が納得したのかは分からなかったが、の腕をつかむ手は既に離れていたので、 はそれ以上何も言わず、本部へと戻った。



***


 本部に戻ってみれば、変わらずそこは慌ただしく。 一つ一つの報告をまとめながら、人員を移動させ、着々と志々雄の雑兵を捕縛していった。

────もうすぐ、夜が明ける。



 東の空は白み始めている。 未だ上がらない火の手に、敗北を悟った志々雄側は各地で退却を始めていた。

 しかしの表情は険しかった。 つい先程の報告で、今まで聞いていた警官側の死傷者数が一気に跳ね上がったのだ。 その数はある地域に固まっており、あまりの混戦に今まで情報が上がってこなかったらしい。

 現場に居た者に話を聞くと、逃げようとしていた雑兵を大鎌を持った女と、空を飛ぶ男が殺したことにより 雑兵全員が決死の様相で警官達に向かってきたという。 数が多かったために、近隣の診療所では重傷者を受け入れきれていなかった。

 は地面に蹲り荒い息をする警官達を、一人一人見ながら応急処置を施した。 本部に戻り、被害の少なかった地域から医者を呼ぶように依頼する。

 捕縛した雑兵達を入れる牢も少ない。 京都大火を防ぎ、歓喜に沸く京都をは忙しなく走り続けた。