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斎藤と剣心が京都に戻ってきたのは、日も高く上がったころだった。剣心によると、なんと左之助の活躍によって志々雄の軍船"煉獄"を沈める事が出来たとか。中々信じようとしないに、左之助が突っかかってきたが無視して経過を報告する。
最終的な京都の被害は、全焼半焼は零件、小火は五十弱あったがすぐに鎮火出来ていた。しかし、警官は四十一名が殉職し、重傷者も多数出ている。その殆どが十本刀の"鎌足"と"蝙也"が居た地区に集中していた。────自分が駆け付けられていれば、と思えば悔いも大きく苦々しい気持ちで剣心達に説明した。
「、自分達の力は万能ではない。全力を尽くしても、力及ばない事もあるでござるよ」
いつの間にかは拳を強く握りしめていたらしい。剣心がそれを解きほぐす様に手を重ねてきた。は驚いて目を見開いたが、剣心の言いたいことが分かり目尻に微かに笑みを滲ませた。
「……ありがと。事後処理がまだまだ残っているから、俺と斎藤さんは暫く手が離せないと思う。目途が付いたら連絡するから、剣心達は葵屋で待っててくれないか」
「承知したでござるよ」
決戦前夜
剣心達を見送った後、を待ち受けていた山積みの書類は無能な自分に悶々とする暇も与えてくれなかった。それでも何とかかんとか処理を終え、数時間ぶりに机から顔を上げた。斎藤は以上に書類を抱えているようで、まだまだ未処理の書類が山の様になっている。
「おい、暇なら抜刀斎の所へ行って言伝してこい」
手伝いましょうか、とが言いかけた所で斎藤は言伝を命じてきた。断る理由も無いので、簡単に机上を片づけるとは葵屋へと走った。
***
葵屋に来たは、ちょうど外に出ていた増に中へと通してもらい皆を集めて斎藤からの伝言を話した。
「……というわけで残後処理であと半日は手が離せないので、志々雄との決闘は明朝出発でお願いします」
「チッ、つまんねえ。こちとら今スグにでも突っ込みてー気分だってのによ」
剣心達がの話を神妙に聞いていた一方で、左之助は焦れた様に己の拳を強く叩き合わせた。
「おお、別に構わんぞ。お前ひとりで突撃してこい」
「あんだと!」
が茶化した調子で言うと、左之助は激昂してその拳をに向けてきた。
「左之、そう焦る必要もあるまい。拙者も今日は疲れた。ゆっくり休んで明日に備えるでござるよ」
そう言って、穏やかに微笑む剣心に毒気を抜かれたのか、を乱打で攻撃していた──もちろんはその全てを避けてはいたが──左之助は一転大人しくなる。その手綱引きの見事さにが感心していると、思い出したかのように増が声を上げた。
「そうだ、ちゃん! 翁がさっき目を覚ましたのよ。疲れちゃってまた寝てるけど……」
「目を覚ましましたか……良かった。翁の部屋で起きるのを待っていても良いですか? どうしても伝えておきたい事があるので」
「ええ、もちろん良いわよ」
先日案内された翁の部屋に行くと、やはり痛々しく巻かれた包帯は変わらない。しかし心なしか穏やかな表情になっている気がする。
(蒼紫を連れて帰る、って言ったらやっぱり翁は怒るかな……)
翁の傍に腰を下ろしてはあくびを噛み殺した。ここ数日まともに眠っていなかったからだろうか、少し眠い。
***
土砂降りの音で目が覚めた。
地面を強く打つ雨の音と絶えず聞こえる雷鳴の中で、微かに女の悲鳴が聞こえる。気になっては夜着のまま外に出た。悲鳴が聞こえたのは女中達の部屋の方だった。
(これは…夢か……)
恐る恐る声のする方へと向かう。女中達に害をなす者が居るのだとしたら闘わなければ。その為に帯刀に教えてもらった力だ。
────決死の思いで襖を開けたが見たのは、返り血に染まった帯刀とそれを見つめる母の姿だった。足元には首の無いの乳母の身体が転がっている。
(嫌だ……もうこれ以上見たくない)
「母上、帯刀、どうして……?」
「あの子の体もずいぶん良くなりました。もうお前は必要ないのですよ。不吉な双子をここまで生かしておいたのは“”の身代わりにする為なのですから」
そうに告げる母の声は何故か震えていた。雷が近くに落ちたのか、もの凄い轟音と共に照らされた母の顔は────
(どうして、泣いているんだ)
母はそれだけ言い残して部屋を出ていく。に仕えていた女中達は皆息絶え、と帯刀だけがその場に残された。
「申し訳ございませぬ。若様として七年間表に出ていらっしゃった貴方様を、今更姫として世に出す訳にはゆかぬのです。貴方様の存在を知るものは全員殺しました。全て事が成った後には私も腹を切るつもりにございます」
そう言って向けられた帯刀の刀。俄かに生命の危機を感じたは咄嗟に帯刀の懐に入り、無我夢中でその柄を掴んだ。
────その時、不意に帯刀の力が抜けた。
はその好機を逃さず刀を奪い取ると、帯刀の首筋に突き立てた。刀を抜き取ると同時に生暖かい血が噴き出しの全身を染める。帯刀は何かを言おうと口を動かすが、音にはならず余計に血が溢れ出るだけだった。
(嘘だろ……?)
幼いは狂ったように母の元へと暗闇の中を駆けていく。それに気が付き、母が振り返った。血に塗れるが見えたとき、母はきっと状況を理解し、これから起こる事を予想しただろう。それなのに──────
***
ふいに目の前が明るくなった。は何度か瞬きをして周囲を見渡した。
「あ、やっと起きた!」
「操ちゃん……えっと、この状況は一体」
そう言っては自身の周りを見た。翁の横で座っていたはずの自分が布団の中に居て、死屍累々、というべきか薫、左之助、弥彦がの周りで熟睡している。流石に起きてはいるが何故か剣心も居た。
「皆どうしたんだ?」
「『どうしたんだ?』ってねえ!!」
そう尋ねると何故か操はぷりぷりと怒り始めた。状況の掴めていないに苦笑して剣心が事の経緯を説明する。
「翁殿が目覚めた時、が眠っていてな。疲れているだろうからとお近殿が翁の布団に寝かせたんだが、暫くしてが酷く魘され始めたので皆心配して見守っていたのでござるよ」
まあ薫殿たちも疲れていたのか眠ってしまったが、と剣心は続けた。はポカンとして剣心を見返した。剣心の声で目が覚めたのかぼんやりとした表情で薫達がの顔を覗き込んでくる。
「……あ、さん起きたのね! 私どうしたら良いか分からなくって、取り敢えず手ぬぐいを冷やしてきたのだけれど」
「まったく薫はそんな事も分かんねえのかよ。風邪じゃねぇんだからそんなの意味ないだろ」
「弥彦、何よその言い方!」
「ま、俺もビビったぜ。“鬼の目にも涙”ってな」
仲が良いのか悪いのか、喧嘩をし始める薫と弥彦の横で左之助が珍しいものを見たと云った表情でニヤニヤと笑っている。泣いていたのか、とは自身の目元に手を当てれば、確かに濡れた痕があった。
「ちょっとお、不審者がの事“鬼”呼ばわりしないでくれる!」
「不審者ぁ? おい、嬢ちゃん俺のこと何にも話してねーのかよ……」
「ゴメン、こっちも色々と忙しくて」
を“鬼”と呼んでからかう左之助に突っかかったのは操で、何故か話はどんどん拗れていく。目の前で始まる言い合いには可笑しくなって声を出して笑ってしまった。馬鹿にされたと思ったのか操や左之助が半眼で睨んでくる。
「ふふっ……ごめん、ごめん。皆有難う。お蔭で良い夢が見れたよ」
「“良い夢”? アンタすっごい魘されてたのよ」
「そう?うん……でもやっぱり良い夢かな。見られて良かった」
先程まで見ていた夢を反芻すると自然と笑みが浮かんでくる。それを見た操は呆れたのか何とも言えない表情で黙ってしまった。
────そこではふと思い出して懐中時計を取り出した。警察署を出てから一時間以上経っている。背筋がひやりとした。
「長居しすぎたな、ごめん早く戻らないと。剣心、翁は何処に?」
「翁殿は縁側に出ておられる。……しかしあまり寝ていなかったのでござろう?もう少し休んでいったほうが」
「お蔭様で仮眠は取れたから大丈夫だよ。それにこれ以上戻るのが遅れたら、それこそ斎藤さんに殺されそうだ」
斎藤の顔を思い出して鬼気迫る思いでが言うと、剣心は事情を察して苦笑した。操達も引き留めてきたが、やはり斎藤が怖いので辞して翁のもとへと向かった。
翁は縁側に座り庭を眺めながら茶を啜っていた。も声を掛けてその横に腰を掛ける。
「翁、お元気そうで……良かった」
「少しはゆっくり休めたかの、」
「お蔭様で。布団を盗ってしまってすみませんでした」
翁は穏やかに微笑みを見る。
「すまんかったの、。お主に何も言わないまま、こんな事になってしもうて」
「いえ、俺こそ葵屋の皆が大変な時に、何も出来ませんでした」
は横に座る翁の手を見た。袖から覗く腕には痛々しく包帯が巻かれている。は意を決して口を開いた。
「……翁には申し訳ないんですけど……俺、蒼紫を此処に連れ戻そうと思っています。翁はあいつが人の心を捨てた修羅だと手紙に書かれていました。でも、翁が今こうして生きているのはあいつが無意識にでも手加減をしたからじゃないかと思うんです。だとすればあいつが心を取り戻す可能性はまだあるはずです」
話しながら声が震えているのが自分でも分かった。自身、確信の持てない、こんな荒唐無稽な言い訳で翁は許してくれるだろうか。
「……先程緋村君にも同じことを言われたよ。危うく儂はお主や操を不幸にするところじゃった。……と蒼紫が“二人で”此処に帰ってくるのを、儂は待っておるからの」
「有難うございます……翁」
翁の優しい声音にの気持ちは定まった。吹っ切れた表情で翁に相対する。
「あの馬鹿を皆の前に引っ張ってきて土下座させてやりますよ」
「ほっほっほ、楽しみにしておるぞ」
***
「まさかお前の足が此処まで遅いとはな」
全速力で警察署に戻ったは、予想通り斎藤からチクチクと嫌味を言われた。それには唯々諾々と謝罪しながら手を動かす。────何とか全てが終わったころには夜は零時を回っていた。
明日の朝は早いのだからと、さっさと仮眠室に寝床をつくり布団に潜り込む。もう夢に魘されることは無かった。