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 真実くんは何だかすごい。
 何がすごいのかと聞かれれば、うまく答えることは出来ない。とにかくすごいのだ。





 は京の外れにある、取り立てて特徴の無い村に生まれた。その生家はある程度の土地を持つ豊かな百姓だった。特に病に侵される事もなく、飢餓に苦しむ事もなく、幼少の頃は日々を安穏と過ごしていた。過ごすことが出来た、とも言える。


「あれ、真実くん。今日もどこかに行ってたの?」


 寺子屋の帰り、は上機嫌で歩く真実の姿を見つけた。
 真実はと同じ村に暮らす少年であり、人から厭われる事の多いにとっては唯一の友人である。もちろん真実が同じように思っているかは分からないが。


「まあな」

「何だか楽しそうだね。上手くいったんだ?」


 が問うと、真実は口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。
 この頃の彼はよく村外に出ては面白そうな人間に勝負を挑んでいるらしい。もっぱらそれは剣や拳によるものなのだが、時にその勝負は囲碁や将棋の盤上でも行われるのだとか。
 曰く、自分は強者だと威張っている人間の鼻っ柱を折るのが楽しいらしい。わざわざ相手の得意分野で勝負をして勝ってしまうのだから、真実はまさしく天賦の才というものを持っているのだろう。


もたまには付いてくるか? そうやっていつも本と睨めっこしてるから“しかめっ面”になるんだよ」


 気づかぬ間に眉間に皺が寄っていたらしい。眉の間を指で弾かれは苦笑を漏らした。は極度の近目だ。だから何かを見ようとすると、真実が言うように酷く顔をしかめる癖がある。


「でも俺がついていったら足手まといにならない? 将棋はともかく喧嘩とかからっきしなんだけど」

「なに言ってんだ? 俺の楽しみをお前にやるわけねぇだろ。は見学だ、見学」


 の心配は鼻で笑われてしまった。
 しかし見学ならば真実に同行するのも面白いかもしれない。数年前、真実が村のガキ大将──彼は真実より幾つも年上だった──をあっという間に倒してしまった事を思い出す。真実という少年は、己よりも強い者を相手にする時こそキラキラと目を輝かせるのだ。



***



 それからは、時々真実の“決闘”に付いていくようになった。
 威張り腐っていた者達が真実によって泡を吹くのは痛快だったし、何より真実の楽しそうな姿を見るのがは好きだった。


(すごいよなあ……真実くんは)


 真実は天賦の才の持ち主だが、初手から有利に運べることはむしろ稀だ。勝負を仕掛けるときは相手が上手である事の方が多い。────でなければつまらない、とも彼は言う。


「なあ、この道場で一番の使い手は誰だ? 俺と勝負しねぇか」

「ふ、小僧。相手してやっても構わんが、怪我をしても知らんぞ?」


 今日も真実は街で評判の道場に向かい、いきなり一番手に勝負を挑む。道場の連中は線の細い真実を侮り、簡単にその勝負に応じた。


「く……クソ! お前、どこの道場のモンだ?」


 最初の内は、相手の攻撃を真実が受けるだけの防戦一方に見えた。────しかし形勢はあっという間に逆転した。
 真実の強さはその“慧眼”によるものなのだと、は思う。真実は驕ることなく貪欲に相手を観察し、癖や強さの秘訣を読み解き自らの糧とする。


「あ? 俺は生っちょろい剣術ごっこなんざ興味ねェよ。我流だ、我流」


 体勢を崩した相手に木刀を突き付け、真実は不敵な笑みを浮かべる。
────本当に恰好いい。
 は真実の活躍を目を凝らして必死で見つめていた。


(……え?)


 突然首筋に感じたひやりとした感覚に、の全身がぞわりと泡立った。


「負けたと言え! ……でなければ此奴の命は保証せんぞ」


 の首には短刀が食い込んでいた。道場の片隅で見学をするだけの筈が、同じく手合いを見守っていた道場側の連中によってはいつの間にか人質にされていた。震える手で短刀を押し付けられ、首筋に引き攣る様な痛みが走る。


「フ……好きにしろよ。出来るならな」


 そう言って嗤笑を漏らした真実からは、少しの動揺も感じられなかった。


「だ、だまれ……! 俺は本気だぞ、く、来るな!」


 の首には尚、刃が押し付けられたままである。男があと少しでも力を籠めれば、の命は簡単に刈り取られてしまうだろう。
 しかし真実は一切の迷いなくの方へと歩いてくる。


 それを恐れたのか、の首に当てられていた刃が真実の方に向けられた。真実の歩みは止まらない。の方に近づいてくるにつれて、の近目にも彼の表情が映るようになった。────楽しそうに、笑っている。

 ボタボタと血が滴り落ちる音がした。
 真実が男の向けた刃先を直接素手でつかみ取っていた。その手は自身の血で赤く染まっている。


「覚悟もねェ奴が身の丈に合わねぇモンを持つとどうなるか、分かるか?」


 男の戦意は完全に喪失していた。真実の“気”に中てられたのか、ガクガクと震えだし真実に向けていた短刀を取り落とす。
 真実は男が放した短刀を取り上げ柄の方で持ち直すと、つまらなそうにその峰で自身の肩を叩いた。


「真実くん……!!」


 呆気に取られながら真実を見ていたは、ふと彼の背後に大きな影が迫っている事に気が付いた。振り上げられたものが“真剣”の様に見えては思わず声を張り上げる。

 真実は振り返らなかった。
 そのまま肩に乗せていた刃を、背後から不意打ちを狙っていた男に突き刺した。短刀は男の喉笛を突き破り、真実が刀を抜き取ると同時に真っ赤な血が雨の様に達に降り注いだ。

 真実はさらにを人質に取っていた男に刃を向け、躊躇なく男の眉間に短刀を突き立てる。言葉にならない音を漏らしながら、男はを放してずるずると地に崩れ落ちた。


「さぁ次は……」


 すぐさま真実の視線が他の者達にまで向けられたのに気が付いて、は慌てて真実の腕を掴んだ。後ろも振り返らずに真っ直ぐに道場から逃げ出す。
 二人を追ってくるものは誰一人居なかった。



***



 街を外れ、田畑の広がる村の入り口に来たところではようやく息を吐き出す。真実の腕を掴んだまま再び歩き出すを、咎めるような声音で真実が呼び止めた。


「おい、

「……どうして、殺したの」


 には真実を責める気持ちは全くなかった。しかし口に出して見ればが思っていたよりもその言葉は険を含んでいた。


「あの連中が俺より弱かったからだ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。自然の摂理だろ?」


 その言葉には真実を振り返った。


「……なら、真実くんは俺の母さんや妹が殺されたのも仕方ないって言うの? 弱かったから、仕方ないって!」

「そうやって目を逸らすのか? 単純な話だ。あいつらに自分を守る強さが無かった。お前にあいつらを助ける力が無かった。それだけだろ」


 目の前がぼやける。どんなに目を凝らしても真実の表情が分からない。の目からは、いつの間にかぼろぼろと涙が溢れていた。


「止めろよ! 君みたいな人殺しに言われたくない!!」


 の母と妹は昨年、野盗に襲われ死んでいた。真実の言ったことが“現実”だった。それでも気持ちに理性が追い付かず、は感情のままに真実を責め立てた。


「────安心しな、村には帰らねェ。もう顔を合わせる事もねえだろ」

「え……?」


────俺は人殺しのお尋ね者だからな。
 そう言って真実はの手を振り払う。迷いなく去っていく真実を、は呼び止めることが出来なかった。



***



 陽が暮れ、夜が明けても、真実が村に帰ってくる事は無かった。
 そして真実の言った通り、これがと真実が顔を合わせた最後の時となった。