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『子供が出来た』
そう聞けば大抵の人間は『目の前の女がどこかの男と関係を持って子供を産んだのだ』と解釈するのだろう。
翁も例外ではなかったらしく、驚いて天井を突き抜けそうな勢いで飛び上がった。しかしの言う『子供が出来た』とは其れとはまた違った経緯があった。
話は数年前に遡る。
××村事件
はある村で駐在をしていた。
なぜそうなったのか、という話は此処では割愛する。
十年とはそれ程に長い期間なのだ。何の職にも就かず流浪を続けている剣心の方が特異な存在だろう。
家を持たないは駐在所で寝泊りをしている。
は警官には珍しく中性的で整った顔をしているため、村の人間、老若男女問わず受けがいい。
また隠密の修行などで身に着けた医学の知識を元に医者の真似事などをしているので、
診療所のないこの田舎ではたいそう重宝されていた。
駐在所にやってくるそういった目当ての人間達を相手しているだけで一日が過ぎていく、平和な村であった。
***
「おい、大変や!」
────それは、うだる様に暑い夏の夜のことだった。
まだ夜明け前である。寝苦しい中やっと眠りについたを叩き起こした男が居た。
もう一人の駐在所勤務の警官、山形である。
山形がの部屋にいきなり入ってくる事はこれが初めてではないが、
今日の彼は尋常ならざる様相での寝る部屋へと飛び込んできた。
「……は? 何がですか」
無理やり起こされたはいささか不機嫌であったが、山形のいつにない慌てた様子に直ぐに襟を正した。
「××村ゆうところでえらい殺しがあったんや!
犯人はそうとう腕が立つらしい、捕まえようした警官がもう何人も殺されとる!
応援要請やけん、わしらもいくで!」
「分かりました。……刀を持って行っても良いですか?」
「もちろんや! ほらはよ行くで!」
××村は達の駐在する村から山ひとつ越えた所にある。
と山形は本部から応援に来た数十の警官達と真っ暗な山道を分け入っていった。
眠気はとうに吹き飛んでいた。
山道を歩くこと数刻、現れたのは田畑の広がる小さな集落だった。
本来ならば退屈なくらい平和なはずの村である。
しかし、達が見たものはそれとは正反対のものだった。
────地獄絵図、その様を表すのにもっとも的確であろう言葉が達の脳裏をよぎった。
「うっ……」
たちこめる血の臭いに山形は口を押さえた。
は眉根を寄せ、腰に帯びた刀を強く握る。
死体の山の其の中心に、男が立っていた。書生風の格好をして一見人畜無害に思える風体である。
しかし男の持つ日本刀からはポタリポタリと雫のように真っ赤な液体が流れ落ちていた。
一本の刀だけでこれだけの人数を斬殺したという事は、かなりの手練れらしい。
「ヒヒヒ……人を斬るという感触は気持ちイイねえ。
ホラ、残りの者達もさっさとかかって来たまえヨ」
そう言って男は挑発するように達に向かってニタリと口元を歪めて嗤った。
しかし男に向かっていく者はだれも居ない。皆悔しそうに男を睨むばかりである。
────そんな中、徐にが刀を抜き、犯人へとゆっくりと近づいていった。
「お、おい! 何考えとるんや……!」
「……山形さん達は下がっていてください」
「な……!」
山形達は唖然とするが、誰もを止めようと動く者……否、動ける者はいなかった。
────ゆっくりと静かに男に向かって歩いていたが一気に踏み切った。
次の瞬間、山形達は己の目を疑う。
瞬きもせぬ間に……は其の男の懐に入っていたのだ。
驚いた男が刀を振りかぶったが、即座ににはじき飛ばされその次の瞬間にはの刀が男の首筋を捉えていた。
「動いたら、殺すよ」
──── 一連の流れが全て目にもとまらぬ速さであったにも関わらず、の刀は男の首の毛一本程手前でピタリと止まっていた。
「ヒ、ヒヒヒィイィ」
情けない声を出して、の殺気に当てられた男は泡を吹いて気を失った。
それからしばらくして、動けずにいた山形達が男を取り押さえ、縄で縛り上げる。
はそれを見やると、ようやく刀を鞘に収め、ふうと息を吐いた。
「おい、。お前あんな強かったんか。聞いとらんぞ」
「だって、聞かれなかったですし」
「……お前なあ」
山形は呆れたように息を吐いた。は相も変わらず飄々としている。
犯人は警官数人を切り伏せられるような手練れであったはずなのに、
目の前のこの男はいとも簡単に倒してみせたのだ。
「……さっさと遺体を片づけんとなあ。真夏やけえ腐るんも早いんやろうなあ」
「うわあ、嫌なこと言わないでくださいよ……」
腐乱した遺体を運ぶのはさすがに遠慮したい。
既に夜は明けていたが、朝の内にすませればおそらく大丈夫だろう、
と達は人気を失いひっそりと静まった家屋から黙々と十数の遺体を運び出していった。
そして最後に村の端に建っていた小さな家の玄関先で絶命している若夫婦を収容した。
村人の中でもとりわけ無残に切り刻まれた二人の遺体を見て山形は大きく顔をしかめた。
「それにしても、奴さん本当にこの村全員殺してもうたらしいなあ。みんなザックリやられとる。
うわ、ヒドイ事しよるのう。こりゃあ、なかなかの別嬪やったろうに」
「……不謹慎ですよ、山形さん。
おそらくこの二人はかなり必死で抵抗したんでしょうね。
────まるで何かを守ろうとしたみたいだ」
「おうおう、はマジメやのう。そんなんやけん「山形さん」
山形の話を中断したは先程とはうって変わって、鋭い目つきになっていた。
「な、なんや!?」
「人の、気配がします」
「生き残りがおったんか!?」
「……おそらく。あの家の中に」
が指差したのは先ほどまで山形と若夫婦の遺体の回収をしていた家だ。
その時は人の気配などしなかったはず。
は警戒を強めて刀を持ち、木戸を引いた。
(俺が気づかなかったなんて……)
「…………」
一見中には誰もいない。
は静かに中にはいると奥の押入れを開けた。
「うわぁああああああああ!!!!」
叫び声とともに少年が中から飛び出してきた。
少年は握りしめた鎌をめがけて振りかぶった。
山形は少年の奇襲に酷く驚いたようだったが、
は警戒していたため、少年の攻撃をなんなく避けることができた。
「母さんを、父さんを返せ! 返せ! 返せ!」
そう叫びながら少年は達にむかって鎌を振り回してくる。
かなり錯乱している様子だ。
無理はない。状況から察するに、少年の両親は少年の目の前で殺されたのだろうから。
しかしこのままではこちらも怪我をしかねない。
は素早く少年の手首をつかむと、そのまま鎌を奪い取った。
「落ち着け、私たちは警官だ。
君の両親を殺した男はさっき私たちが捕縛した」
「……っ、あいつは捕まったのか……?」
「ああ。……ただ残念だけど君以外に生き残った人はいないようだ。
君、この村の外に親戚や頼れる人はいるかい?」
「……いないよ………。」
少年の返答にと山形は少年の頭上で顔を見合わせた。
「うーん……ほんなら少なくとも里親が見つかるまでは警察で預かる事になるやろうなあ。
この事件唯一の重要な証人やけえ、ブンヤからも守らないけんしなあ」
「そうですね。でも簡単に里親が見つかるでしょうか。
ここ数年の廃仏毀釈運動で寺社は混乱して孤児を養う余裕はないでしょうし、
一般庶民は言うに及びません」
そう山形に言ったところではしまった、と思った。
見れば少年の顔は青ざめ非常に不安そうな表情でうつむいている。
両親を殺されたばかりの子供の前でする話ではなかった。山形も同じことを感じたのか慌てて次の案を言ってきた。
「なら、新時代の波に乗って成り上がった連中ならどうや!
中には金持っとっても跡継ぐ子供がおらんゆうのも居るやろ?」
山形には悪いが、にはそれが現実的な案とは思えなかった。
"成り上がり"故に既存の上流階級に羨望や嫉妬の感情を持つ者も多い彼らが、学も無い"百姓"の子供を引き取るだろうか。
……ふとは自分の暮らしを思い返した。
警官としての給金はひと一人暮らしていくには十二分である。
────山形さん、この子は私が引き取りますよ。
それを聞いて、驚愕の色に染まった二対の眼がを見つめた。
話は長くなったが、こうしてに『子供が出来た』というわけである。