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 後から聞けば、あの時蒼紫も「こいつとは絶対に合わない」と思っていたようだ。 つまりお互い第一印象は最悪だったわけで、 江戸に着いてから半年ぐらいはギクシャクした関係が続いていた。



あの日の



 蒼紫との関係は相変わらず良好とは言えなかったが、 にとって江戸本陣での生活は充実したものになっていた。

 御頭は暇を見つけてはに体術の稽古や隠密として必要な知識を教授してくれた。 蒼紫が拾ってきたという般若もよく修行の相手になってくれる。 半年という月日はあっという間だったが、 は隠密としての力を十分に身に着けたという自負があった。

────蒼紫との二人組で“初任務”が与えられたのは其の頃だった。




***




 達に与えられた任務は、幕府のある重役の護衛だった。 その男は米国との重大な交渉のために横浜に行く必要があったが、 尊皇攘夷を唱える浪士たちに襲われる可能性が高かった。

 と蒼紫は男の小姓として横浜に同行することになった。 船に乗れないという男の希望で駕籠での移動となったが 途中で天気が大きく崩れたため大事をとって早めに宿に入る事にした。



────天からは叩きつけるようなような土砂降りが続いている。

 蒼紫とは交代で仮眠を取ることになり、 は部屋の入り口で刀を抱え鬱々とした気持ちで降り続く雨を見つめていた。

 雨は激しさを増し、遠くでは雷鳴が聞こえている。
────それに混じり、水を吸った重い足音が聞こえた気がしては刀に手を添え立ち上がった。 感覚を研ぎ澄ませれば、やはり複数人の気配を感じる。 向こうもが気がついた事を察知したのか、ぴたりと動きを止めた。

 地面に叩きつける雨の音のせいで、動きを止めた敵の正確な位置と人数は分からなかった。 は息を詰めながら膝を軽く曲げ何が起きても反応できる体勢をとった。 空気は張り詰めの耳からどんどん風雨の音が消えていく。 庭の木々の陰に隠れているのであろう敵に、全神経を集中させた。


「すみませーん、お小姓さん」


 緊張感の無い声がの耳に響いた。 咄嗟に振り向けば、敵の存在に気がついていない女将が此方に向かってきていた。
 敵は突然現れた異分子を排除しようとしていた。 女将に向かって何本もの暗器が投げられている。


「危ない!!」

「えっ……?」


 は飛天御剣流の神速をもって女将を敵の攻撃から背中にかばった。 避ければ女将に当たるため、無数の攻撃をは刀ではじき落としたが、 防ぎきれなかった針がの右腕に刺さっていた。

────毒が塗られていたのかじわじわと右腕の感覚が消えていく。 は舌打ちして刀を床に刺し、仕込んでいた暗器を左手で敵に向かって投げた。 敵は既に姿を現していたが、 はしびれ薬を塗った暗器を急所ではなく腕や足などに投げ着実に敵の戦力を削いでいった。 こいつらは全員“雇われ”の隠密だろう。黒幕を吐かせなければ意味が無い。

 男と蒼紫が眠る部屋が心配だったが、 騒ぎに気づいた蒼紫が群がる敵を倒していくのが視界の端に見えて は息を吐いた。


「全く……何か御用ですか」

「え、ええ……今日は酷く冷えるから湯たんぽでもと」


 女将の腕には言葉通り湯たんぽが抱えられていた。 は庭から攻撃してくる敵を倒しながら 「そのせいでこんな騒動に巻き込まれるなんて、運が悪い人だなあ」と小さく笑った。 それが聞こえたのか女将も震えながらも、ふふと軽く笑った。

────そして最後の一人を倒した時、の背後から生暖かい液体が降り注がれた。

ゴトリ


 即座にが振り向けばそこには首のない身体と、 先ほどまで笑っていた女将の首が転がっていた。 ────“あの時”と同じように。




***




「母上、帯刀、どうしてっ?」


 そこにはの乳母の首が転がっていた。