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アジトの最深部へと向かっているからか、宇水の部屋から次なる決戦の間へはかなりの距離があった。安慈、宇水が出てきたということは次は恐らく“天剣の宗次郎”。葵屋を思い逸る気持ちの一方で、の中にはある気持ちが燻っていた。
(クソ……あの馬鹿は何処にいるんだ)
覚悟は決めた
ある部屋の前で、不意に剣心が足を止めた。も確信して立ち止まる。
────この中に、蒼紫がいる。
「ちょっと、そこの部屋は空よ、空!」
「いや……確かに此処に人の気配を感じる」
由美はこの中には『十本刀は居ない』と断言する。その言葉で左之助も気が付いたらしい。驚愕の表情で剣心を見る。
「ここに居るのは十本刀以外で、それでいて志々雄のアジトに居る奴……まさか…」
「ああ、この中に居るのはあの男。隠密御庭番衆御頭、四乃森蒼紫!!」
────やっとこの時が来た。気が付けば右手が小刻みに震えている。はそれを押さえつけるように、拳を強く握りしめた。
「剣心……お前が四乃森蒼紫との再戦を約束しているのは知っている。だけど此処は、俺に闘わせてくれないか」
「、しかし……大丈夫でござるか。蒼紫はかつての仲間なんだろう」
剣心は気遣うようにを見る。それに対しはへらりと笑った。そうだ、覚悟は決めている。
「心配ないよ。それに俺も約束したんだ。“蒼紫”を連れて帰るって」
の目を見た剣心は柔らかく微笑んだ。の想いが伝わったのだろう、も表情を緩ませた。
「剣心達は先に行きな。道は分かってるから、俺は後から追いかける」
「ああ。待っているでござるよ」
「俺と再戦する前に、くたばんじゃねーぞ!」
剣心達はを激励すると、また先へと廊下を駆けていった。残されたは目の前にそびえる扉を重苦しい音と共に押し開ける。
「…なぜお前が此処に居る……」
「なんだ、俺のこと覚えていたのか。悪かったな、お目当ての人間じゃなくて」
扉の向こうには、幾つもの背の高い本棚が並んでいる。その奥に、やはり四乃森蒼紫が居た。触れれば切れそうな鋭い殺気を放つ蒼紫に対し、はわざと軽口を叩く。目の前の男は、かつて共に修行を共にした時とも、観柳邸で見た御頭としての姿とも、大きくかけ離れていた。
「俺が約束していたのは抜刀斎だ。奴は何処だ」
「残念、剣心はもう先へ行ったよ。あいつと闘いたいなら、うん……そうだな。“俺を倒してから行きな”」
わざとらしく笑みを浮かべ、は抜刀術の構えを取った。それに応じて蒼紫は刀を抜く。小太刀二刀流……翁から聞いていた、蒼紫は先代御頭の技を会得し、さらに強く昇華させていると。
***
抜刀術を用い斬りかかったの剣を、蒼紫は右手の小太刀で難なく受け止める。次の瞬間には体の捻りの威力を加えた右手の小太刀が容赦なくの首を狙いに来た。は力づくで刀を払い、それらを弾くが、避けきれなかった斬撃が肩の肉を裂いていた。
二つの小太刀を使った蒼紫の攻撃は尚も続く。数多の攻撃をは受け止め、払い、避け、しかし遂には部屋に立ち並ぶ本棚へと追いつめられていた。────もう後ろに退くことは出来ない。好機と見た蒼紫が鋭い刺突を繰り出す。
────飛天御剣流、龍巻閃
身体を回転させ蒼紫の刺突を避けると同時にその背中を狙った。しかし、の剣は蒼紫の左手に持つ小太刀で防がれ、そのまま右肘でがら空きの顎を殴られる。その衝撃に吹き飛んだは、本棚に強かに背中を打ち付け息を詰まらせた。
────小太刀二刀流、陰陽撥止
すぐに顔を上げたの目の前には蒼紫の放った小太刀が迫っていた。咄嗟に刀で弾くも、次の瞬間には全く同じ軌道で投げられた“二刀目”が眼前にあった。
「くッ……!!」
すんでの所でそれを避けたが、その隙をついて蒼紫はすぐさまの頭を蹴り上げた。衝撃でぐらりと頭が揺れ、たまらずはその場に倒れこむ。
「勝負にならないな……俺が斃さねばならぬのは“幕末最強”と謳われた人斬り抜刀斎だ。それでこそ、あの四人の墓に華を添える『隠密御庭番衆こそ真の最強』だという証となる」
「あ、おし……」
「俺は行くぞ。今度こそ俺は抜刀斎を斃し、最強という華をこの手中に収める。そうすれば俺の幕末も……最後の御頭としての人生も、全て終わりに出来る」
蒼紫はの傍に落ちていた自身の小太刀を拾い上げ、この部屋から去ろうと扉に手を掛ける。それを阻んだのは────“椿”が御庭番衆としてかつて使っていた────苦無だった。が投げた苦無は鋭く蒼紫の頬を掠め、蒼紫が開けようとしていた扉へと突き刺さった。蒼紫は頬を伝う血を拭いこちらを振り向く。
「……待てよ、蒼紫。言っただろ、“俺を倒してから行きな”って」
口から零れる血を吐き出して、は不敵に笑った。
頬を切られた蒼紫が振り返る。は揺らぐ身体に喝を入れて立ち上がった。光を宿さない蒼紫の瞳を正面に見据えて、感情を叩きつけるように叫んだ。
「最強の華を手にして全てを終わらせるだと……? ふざけるな、蒼紫!般若も式尉もべし見も火男も……誰一人として“お前の死”なんて望んでない!!」
の言葉に無表情だった蒼紫が僅かに顔を歪めた。────蒼紫が己の感情を殺し、ぶ厚い扉の中に閉じこもるならば、自分は何度だってその扉を叩こう。
***
蒼紫がこちらに駆けだすと同時にも刀を構え神速で蒼紫に向かっていく。
────御庭番式小太刀二刀流、呉鉤十字
蒼紫は両手に持つ小太刀を交差させ、両側からの首を切断しようと斬りかかった。
────飛天御剣流、龍翔閃
は刃が頸動脈に達する紙一重の瞬間を見極める。刀を打ち上げ蒼紫の攻撃を弾き返すと、其のままの勢いで宙に高く舞い上がり、重力を加えた勢いで蒼紫の脳天を狙った。蒼紫は二本の小太刀でそれを防ごうとするが、の落下の力を加えた全力の斬撃に力負けする。小太刀の交差は崩れ、の刀は蒼紫の肩を深く傷つけた。蒼紫は堪らず膝をつく。
の首からも血は流れていたが決して深い傷ではなく、今闘いの軍配はに上がろうとしていた。
「これでも、俺じゃ力不足か?」
「いい気になるのは早過ぎるだろう……。紙一重の違いでお前の頸動脈は確実に切断されていた」
「その“紙一重”の差が決定的なんだよ。生きる覚悟もなく、全てを捨てようとしているお前に俺は斃せない。それに………蒼紫、俺が防ぎきれなかったとして、お前は俺の首を斬れたか?」
を見上げる蒼紫の目が僅かに見開かれる。その僅かな動揺もにとっては大きな光明だった。
「お前は現実から目を背けているだけだよ。今のお前は……般若達を言い訳に自責の念から逃れようと只、己の凶剣を振るっているに過ぎない」
「お前に何が分かる……!!」
蒼紫が振るった小太刀が傍にあった書籍をすべて吹き飛ばす。突き刺さる様な鋭い怒りに怯むことなく静かには言葉を紡ぐ。
「般若達が観柳に殺された時……、俺もあの場所に居たんだ」
「なに……?」
「警視庁の密偵として緋村剣心を観察する任務の一環で、俺は蒼紫達の闘いを見ていた。……何もせずに。今でも後悔してるよ、どうしてあの時、なりふり構わずにあいつらを助けなかったのかって」
あの時のはそれが正しいのだと信じていた。しかし再び剣心と行動を共にするようになって……他に選択肢は無かったのかと思うようになった。そんな思いがふとした時に湧き上がっては積もっていく。油断すれば其れに足を取られて一歩も動けなくなりそうな事もあった。全てに蓋をして見えないようにすれば……楽だ。
「……」
「お前が目を背けている限り、般若達は浮かばれない。剣心との再戦を言い訳に、翁や操ちゃん……かつての仲間を傷つけて……、般若、式尉、べし見、火男……今のお前の行動は、あいつらを悪霊にしている!」
血を吐くような思いでは蒼紫を糾弾する。蒼紫にとっては般若達の事を出されるのが何より辛かったのか、激昂しての腹を蹴り上げた。の身体は後ろへと吹き飛ぶ。打ち付けた背中に激痛が走った。それでも書棚に手を掛け何とか身を起こし、尚鋭く蒼紫を見据えた。
「蒼紫……!!」
蒼紫はの視線を振り切るように、小太刀を振り上げた。理性を失った凶剣がを狙う。
────しかしが血を流すことは無かった。避けることも防ぐこともしなかった小太刀はの肩口まで届いていた。それでも、ただその剣はの忍び装束を撫ぜただけだったのだ。
「何故避けない……」
「蒼紫、もう逃げるのは止めにしよう。死んでいった人達に俺達が出来るのは、ただ前へ進むことだけだ」
の言葉に蒼紫は向けていた小太刀を力なく下ろす。
「……それでも、この闘いに決着をつけなければ、俺は前に進めない」
「良いよ、全力で闘おう。その為に“飛天御剣流奥義─天翔龍閃─”を用意したんだから」
面を上げた蒼紫はかつての顔つきに戻っていた。はそれを見て穏やかに微笑むと、鞘へと刀を納めた。半身を引いて抜刀術の構えを取り蒼紫に向き合う。
「俺が勝ったら、剣心の事は諦めろよ」
「……ああ、これが最後だ」
蒼紫の放つ“回天剣舞・六連”は左右どちらかから始まる超高速の六連撃。右か左か……それを見極めなければ命取りになる。一方で蒼紫も未知の技である天翔龍閃を警戒しているのだろう、両者一歩も動かない膠着状態が長く続いた。
────動きが無い中でも両者の剣気はさらに鋭く研ぎ澄まされていく。その剣気に反応したのか、傾く書棚から一冊の本が────落ちた。
先手を打ったのは蒼紫。その左手はの抜刀の起点の反対側、右の首筋を狙う。死闘という極限の狭間で……は己と相手の生死の紙一重を見極めた。
────飛天御剣流奥義、天翔龍閃────
龍の起こした風に巻き上げられ、蒼紫の身体は大きく宙を舞った。地に叩きつけられた蒼紫は……生きている。大きく息を吐き、は自身の刀を鞘に納めた。
逆刃刀ではないの刀は蒼紫の身体を深く切り裂いている。は腕に巻いていたサラシを解き、蒼紫の傷を止血していった。
「どうして……俺にここまでしてくれるんだ」
「そんなの当たり前だろ。仲間なんだから」
蒼紫の問いには至極当然、といった風に答える。それはかつて蒼紫がを救ってくれた時の言葉だった。その時の事を思い出したのか、蒼紫は初めて、穏やかに微笑んだ。
「ああ……そうだったな」