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 志々雄の隙をついた“牙突”は、完全にその眉間を捉えていた。奇襲は成功したかに思えた。
 ────しかし斎藤もも、志々雄の貪欲さを見誤っていた。奴は包帯の下に隠した“鉢金”によって斎藤の攻撃を防ぎ、すぐさま斎藤の負傷している両太ももを斬りつけた。


「調べが足りなかったな、斎藤一。お前は千載一遇の勝機を逃した」

「……阿呆が。調べが足りぬのは貴様の方だ!」


 志々雄の攻撃によって斎藤は両足を封じられたが、そういった時のための“秘策”を当然の様に用意していたらしい。
────牙突、零式
 斎藤は上半身のバネだけを使って再び牙突を放った。その切先は、鉢金の巻かれた頭部ではなく志々雄の心臓を狙う。しかし刃は志々雄の包帯を幾らか裂いただけで、その身体には届かなかった。
 素手で右肩を抉られ、“紅蓮腕”の爆発をその身に受けた斎藤は、その場に崩れ落ちた。“零式”が上半身だけを使う技と言っても、傷口を再び斬られ足の踏ん張りが殆ど聞かない状態では、本来の威力は出せていなかったのだろう。……そうであったとしても。


(本当に……嫌になるぐらい強いな、志々雄真実は)




闘いの




「てめえ……!!」


 機を伺っていたよりも先に、左之助が動いた。しかし傷ついた右手では満足に志々雄を殴る事も出来ない。反対に志々雄に殴られた左之助の身体は、背後の壁を打ち砕くほどに強く吹き飛ばされた。


 斎藤が破壊した扉の影から、は志々雄が高笑いする声を聞いていた。これまでの闘いの様子を垣間見ながら、は一つ気になっている事があった。

 ────志々雄の女、由美がしきりに“懐中時計”を気にしている。

 一つの可能性がの脳裏に浮かんだ。志々雄は全身に重度の火傷を負っている。生きているのが不思議なくらいだ。もしかしたら、その身体ゆえに長時間戦う事が出来ないのかもしれない。


(何分なのか、何時間なのかも分からないけど……)


 それが分かったら楽なのにな、と小さく息を吐いては決闘の場へと歩み出た。


卿……? 否、お前は誰だ……!?」

「方治、前にお前が言っていた“”だ。そうか、まだこいつが残っていたな」

「志々雄様、早く止めを! そいつらのしぶとさはゴキブリ並ですわ!」


 焦燥の見える由美の声には僅かに口角を上げた。志々雄に残された時間は、きっとそれ程長くない。


「それにしても、部下を使って相手を手負いにした上で“決闘”だなんて、すごいなあ。驚くべき勝利への貪欲さだ。尊敬するよ」

「黙れ! 志々雄様はお前等がたとえ無傷で闘った所で、到底かなうお方ではない!」


 緩慢な動作で歩き、挑発めいた口調で話すに方治がいきり立つ。はそれを意にも介さず尚も話し続けた。


「それはあくまで“仮定”の話だろ? お前がどんなに喚いた所で、『志々雄真実は緋村剣心に手傷を負わせ、葵屋急襲という精神的負荷まで与えた上で勝利した』って事実に変わりはないね。歴史に刻まれるよ」

「フ……詭弁を弄して“時間稼ぎ”のつもりか? 抜刀斎が二度と起きねェなら意味が無いと思うがな」


 志々雄は余裕の表情を崩さない。志々雄の言う通り、剣心は生きてはいるが意識が戻る様子は無い。────“自爆”の可能性に賭けるならば、志々雄を“戦わせ続ける”必要がある。


「邪推はよして欲しいな。純粋に、俺もこの日本の命運を賭けた戦いに加わりたいだけだよ」


 薄く笑みを浮かべては抜刀の構えを取る。闘いは息つく間も無く始まった。飛天御剣流の神速を以ては志々雄を狙う。首筋、肩口、胴、腹────しかし、全ての攻撃を志々雄はこともなげに防いでいく。


(思っていたよりも、体が重い……)


 じわじわと違和感が身体を侵食していく。分かってはいた事だ。は先だっての闘いで蒼紫に“天翔龍閃”を使ったが、女であるの身体はあの超人的な技を使うには適していない。 ────俺のこれからの剣士としての人生と引き換えに『一回』といったところでしょうか────かつての自身の言葉を思い出す。

 自嘲の笑みが零れた。志々雄の“自爆”願う自分の方が、先に持たなくなるかもしれない。


「っ……!!」


 右肩に壮絶な痛みが走った。一瞬視界が揺らいだが何とか堪えて志々雄を見据える。その切先にはまだ炎が残っていた。


「壱の秘剣“焔霊”、どうだ? 斬られると同時に焼かれる痛みは」

「自分で斬った所を焼いて止血してくれるんだから、随分と親切な技じゃないか!」


 引くことのない痛みを押し殺して、は志々雄に向かっていった。しかし、その切っ先が志々雄に届くよりも先に、志々雄の足がの腹を抉る様に蹴り上げていた。
 その衝撃に膝から崩れ落ちる。耐え切れず跪いたの首を志々雄が鷲掴み、そのまま宙に持ち上げた。息を詰まらせるを志々雄は嗤う。


「お前は俺達と同じ穴の貉だと思ったんだがな。残念だぜ」

「は、お前ら……みたいな“泥……船”に誰が…乗る、か」


 志々雄が己の手袋に刀を当て“何か”をしようとしているのが分かる。しかしにはそれを防ぐことも出来ない。────火薬の臭いがする……“紅蓮腕”、か────


キイィィン!!!!


 金属同士がぶつかる甲高い音と共に、突然の身体は開放された。咳き込み、えずきながらは周囲を見渡す。……革靴の音を鳴らし、決戦の場に入ってきたのは、


「ハ!誰かと思えば、“負け犬”の御頭サンじゃねェか」

「助太刀をする気か!? 図々しい、お前は既にこの男に敗北した“負け犬”ではないか! この雌雄を決する場に加わる資格などないわ!!」


 蒼紫は志々雄の挑発や方治の罵声にも表情を変えず、此方に向かって歩いてくる。は足元に落ちていた小太刀を拾い蒼紫に投げた。
 抜き身のままの小太刀を危なげなく受け取る蒼紫を見て、の心にかつての感情が湧き上がってきた。

────ああ、こいつとなら何だって出来る気がする。



***



「俺が“負け犬”である事は否定しない。しかしこの者は俺と闘ったせいで、要らぬ手傷を負った。何と言われようと俺は引くつもりは無い」

「何だと……!!」

「まあ良いじゃねェか、方治。久しぶりに俺自ら闘って気分が良いんだ。雑魚二人ぐらい一度に相手してやるさ」


 蒼紫がの隣に立つ。
 闘いは志々雄の攻撃から始まった。重い斬撃を蒼紫が二刀の小太刀で受け止める。その隙にが志々雄の首を狙うが、志々雄は素早く後方に退きそれを避ける。一分の隙も逃さぬようは全神経を集中させて攻撃を繰り出す。────志々雄の刀は必ず蒼紫が防いでくれる。そう思えば、軋む身体もその能力以上に動いてくれた。
 ついに志々雄を闘技場の角に追いつめた、追いつめた筈だ。……しかし、全く隙が見えない。志々雄を攻撃する糸口が無い。

 達の焦燥が分かったのか、志々雄は余裕の表情で両腕を広げて此方を挑発する。


「どうした、俺をこうして角に追い込んでいるんだ。絶好の機会じゃねェのか?」


 先に仕掛けたのは蒼紫だった。“小太刀二刀流、回転剣舞・六連”────しかし攻撃は志々雄に見切られ、蒼紫は小太刀を弾き落される。続けざまに放たれた志々雄の“焔霊”によって蒼紫の身体は遥か後方に吹き飛ばされた。


「蒼紫……!!」

「様ァ無えな。慣れ合った所で意味なんか無え。仲間だ何だと言ったところで、結局最後まで頼れるのは自分しか居ねェんだぜ?」


 志々雄がゆっくりとの方へと歩いてくる。は刀を強く握り直し、志々雄を見据えた。


「お前を倒すことも出来ない俺が言っても、説得力無いんだろうけどさ。……あいつを、剣心を見てると、信じたくなるんだよ。その甘っちょろい戯言を!」


 が叫んだその瞬間、鋭い剣気が闘技場に張りつめた。志々雄を前に、は思わず振り返った。
 剣心が立ち上がった。その発する剣気に反応して、斎藤も左之助も意識を取り戻す。剣心と志々雄の日本の未来を賭けた決闘が、再び幕を開けた────

 己の限界を超え、更に鋭さを増した剣心の攻撃を見て、由美が激しい焦燥を見せながら方治に闘いを止めるよう懇願している。志々雄に許された時間は“15分”だった。しかしその時間はもう、とっくに過ぎている。


(志々雄もまた、己の限界を超えている……)


 剣心の渾身の力による連撃を全て受けても尚、志々雄真実は立ち上がる。宣言するのは“終の秘剣、火産霊神”。

 剣心は抜刀術の構えを取る。恐らくこれが最後になるだろう。幕末を生きた二人の人斬りが、今此処で己の信念を賭けて闘っている。


────飛天御剣流奥義、天翔龍閃!!!
────終の秘剣、火産霊神


 剣心の一撃目を志々雄は見切り、完全に止めて見せた。志々雄達は勝利を確信する。……しかし天翔龍閃はこれで終わりではない。龍の起こした風に志々雄は自由を奪われる。空気の流れを味方に付け、更に威力を増した二度目の剣心の攻撃が、志々雄の身体を直撃した。

 これで決まっただろうか……大きく吹き飛ばされた志々雄が、地面に叩きつけられた後、異常なまでに苦しみ始める。


「止めて! これ以上はもう無理よ! 志々雄様は火傷の後遺症で15分間以上は闘えない身体なのよ……もう良いでしょ、お願い……」


 由美が剣心に命乞いをし志々雄の前に庇い出た、次の瞬間。志々雄の刀が、由美と剣心の体を貫いていた。


「剣心っ……!!」


 怒りで飛び出しそうになった体を、は必死で抑え込んだ。志々雄を“卑怯”だとは思わない。これは志々雄の信念で、由美自身が望んだ形でもあるのだろう。

 両者共に限界を超え、立ち上がることすら出来ない程になっていた。しかし闘いはまだ、終わっていない。


────志々雄は強い、“迷い”が無いからだ。剣心は迷う。迷い、苦しみ、模索する。だけど……だからこそ、剣心は強くなれる。


 二人が再び立ち上がった。



***



────限界を超えて。
 志々雄は嗤いながら其の熱で自身を燃やしていく。地獄の業火は由美をも包み、跡形もなく、二人を燃やし尽くした。


「志々雄様が! 負ける訳など無い! 志々雄様が負けるはずは無いぃいいいいい!!!!!!!!」


 勝利の感慨も無く、沈黙を続ける達に対し、一人残された方治が狂った様に叫びだす。方治はと剣心を突き飛ばし、走り去っていった。
 その衝撃には踏ん張りが利かずたたらを踏んで尻餅をついてしまった。剣心も糸が切れたかのように倒れ、意識を失っている。鉄の扉が方治によって閉められたのが分かったが、は立ち上がることすら出来ない。


「っ……」

「掴まれ」


 立とうとした瞬間、全身を貫く様な痛みに呻いたに、蒼紫が手を差し出してきた。手を取り、身体を支えられてようやくは立ち上がる。


「クソ、開かねェ!!」


 閉ざされた扉を左之助が剣心を抱えながら何度も叩くが、鉄製の扉はびくともしない。二の足を踏む達を押しのけ、斎藤が牙突の構えを取った。


「どけ。お前等とはくぐった修羅場の数が違うんだ」


 斎藤は涼しい顔をして扉を破壊する。達はそれに面喰らいながらも、アジトを脱出しようと先を急いだ。しかし────

 突如足場がぐらぐらと揺れだす。あちこちで爆発が起こっているのが轟音と振動で分かった。まさか方治がアジトを破壊しようとしているのだろうか……“此処にいる全員”を殺すために。


「……ごめん、蒼紫」


 全員が突如始まった崩壊に動揺する中、は小さく呟いた。蒼紫から離れ、走りだす。身体が軋むような痛みも今は気にならない。────どうしようもなく、嫌な予感がしていた。