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 幾度とない爆発により、地面がぐらぐらと揺れる中、はひたすら走っていた。一つの予感が軋む身体を突き動かす。廊下の壁に隠された扉を開け、階段を駆け上がった。目指していたのはついさっきまで正継と話していた場所────

 部屋に入る扉を開けようとするも、歪んでしまったのか押しても引いても開く気配が無い。は何度も何度も体当たりを繰り返し、何とかその扉を押し開けた。




るべき場所




 扉を開けた先に広がる光景に、は息を呑んだ。天井は崩れ落ち、火が近くまで迫っているのか室内には煙が充満している。瓦礫をかき分けながら歩いていくと、落ちた天井の下から人間の腕が僅かに見えていた。

 はすぐさま瓦礫を押しのけようとするが、思うように力が入らない。『お前等とはくぐった修羅場の数が違うんだ』という斎藤の言葉が脳裏に蘇る。は眉根を寄せ忌々しい思いで舌打ちをした。


「ッ……俺だって、それなりに修羅場はくぐってきたんだよ!」


 渾身の力で瓦礫を持ち上げ破壊した。上がる息を抑えながら、全く動かない人影に駆け寄ると、すぐに怪我の具合を観察する。
 頭を強く打っているのか意識は無く、左足の骨が完全に折れているようだった。あまり動かすのは好ましくないのだろうが、いつまでも此処に留まっていたら二人そろって御陀仏だ。
 木片を左足の添え木にし、は正継を背負って走り出した。



***



 は元来た道を戻ろうとしたが、階段の途中で完全に道が塞がっていた。絶え間なく聞こえる爆発音と続く揺れに、の焦燥は高まっていく。この道を塞ぐ瓦礫を押しのけて行くしかないのか────


「戻って」

「え……?」


 突然声が聞こえて首を後ろに回すと、意識が戻ったのか正継が今来た方向を指さしている。信じるしかない、は再び元来た階段を駆け上がった。


「そこに隠し扉があるから。開けて」


 先程の部屋に戻る直前で正継が右を指した。唯の壁にしか見えなかったが、押してみると、人ひとり通れるぐらいの細い通路が姿を現した。


「こんな場所、見取り図には無かったけど」

「どれを見たのか知らないけど、あの方治が一つの資料に全ての情報を載せる訳が無いでしょう。私も最初から全ての道を知っていた訳じゃないけど、暇つぶしに下っ端君達を使ってよく探検していたからね」


 呆れた様に息を吐く正継の態度に少し苛立ちながらも、は正継の指さす方向に従ってひたすら足を走らせた。


「そこは右」

「左に曲がって、階段がある」


 言われた階段を上り、天井に取り付けられた扉を押し開けると、見通しの良い草原に出ることが出来た。周囲を見渡せば、最初に入った六連の祠の入り口からは随分と離れているように感じた。


「姉上は、どうして私を助けに来たの」

「どうしてって……、分からないよ。体が勝手に動いてた」


 アジトの崩壊が始まったあの時、とにかく正継の所に行かなければと思ったのだ。考えている暇なんて無かった。


「はは、何それ。相変わらずの脳筋だね」

「……性格悪いなあ、昔はあんなに可愛かったのに」

「二十年もあれば性格の一つや二つ、捻じ曲がるさ」


 口調は軽かったが、正継の呼吸は荒く乱れている。ずり落ちそうになった体を抱え直すと、その身体は酷く熱を帯びていた。急いで医者に見せないと────は麓へ向かって歩き始めた。



***



 地響きがして振り返ると、先程まで達が居た所の地面が陥没し煙を上げていた。アジトが完全に崩壊したのか────蒼紫や剣心達は大丈夫だろうか……不安がとめどなく湧き上がって来たが今はとにかく街まで戻らなければ、とは足を動かした。

 前方の林の中に人影が見える。長身、痩躯。────まさか、


「斎藤さん」


 突然現れた斎藤には酷く驚いた。確かにこの人は、殺しても死ななそうだけれども。悠々と煙草をふかす姿からは、アジトを脱出してきたとは思えない程の余裕が感じられた。


「……剣心達はどうしたんです?」


 周囲を見回すも斎藤以外の姿は見えない。途中で何かあったのだろうか……逸る思いでは斎藤に問いかける。


「奴らとは、お前が去ったすぐ後に別れた。その後の事は知らん」


 そう事も無げに言って、斎藤は咥えていた煙草を踏み潰した。久しぶりに見る、“狼の目”だ。その目を正面に見据え、緊張からか体がビリビリと痺れるのをは感じる。


「その背中に背負っている奴を寄越せ」

「彼を如何する気ですか?」


 内心の焦りを悟られない様に、は口角を上げて余裕の表情を繕う。正継を担ぐ腕には自然と力が入っていた。


「そいつは商船の代表、正継だろう。あのアジトや、大阪湾で沈めた“煉獄”……どこから資金が湧いてくるのか謎だったが、そいつがパトロンだったのなら納得がいく」

「なるほど。でも、それを証明する物は見つかったんですか? 俺が先日アジトに潜入した時見つけた資料には、上海系の武器密売組織の名前がありました。報告書にも書いたはずですが? そちらを洗うのが先だと思いますけど」


 斎藤の考察は恐ろしい程に的を射ていたが、それを認める程、は素直な人間じゃない。軽い調子は崩さずに、本心はひた隠す。


「彼はつい先程見つけた唯の“一般人”ですよ。それとも、斎藤さんは無関係の民間人を意味もなく殺す、“快楽殺人者”だったんですか?」


 の言が詭弁であることは斎藤も気付いているだろうが、としては兎に角この場での戦闘を避けたかった。今のには斎藤と一戦を交えられるような余力は残っていない。


「フ……まあ良い。俺の信念に変わりは無い。そいつが“黒”だという証拠が出たら、即刻斬り捨てるだけだ」


 そう言い残し斎藤は去っていった。
 その姿が見えなくなったのまで確認して、は安堵の息を吐いた。緊張の糸が切れたのか、再び全身の痛覚が主張し始めていた。どんどんと体が重くなってきて、は意識を失っている正継を落とさないように、ゆっくりと地面に下ろした。自身も手近な木に背中を預けて座り込んだが、ずきりずきりと全身の痛みは治まりそうに無い。次第にその意識は黒く塗りつぶされていった──────



***



 十本刀との闘いで葵屋が半壊してしまった為に、操達は暫くの間“白べこ”に間借りすることになった。しかし、剣心達はきっと葵屋の方に戻ってくる、その時には一番に迎えたい、と思った操と薫は二人、破壊され吹きさらし状態の葵屋でひたすら剣心や蒼紫達の帰りを待っていた。
────陽が暮れても、剣心達は帰ってこない。操は瓦礫の中、膝を抱え、最悪の予想をしては何度も何度もそれを打ち消していた。

 暗闇の中から引き摺るような足音が聞こえた。すぐさま薫と共に走っていくと、剣心達の姿が見える。操はその中に蒼紫の姿を見つけ、ほっと肩を撫で下ろした。皆怪我を負ってボロボロだし、剣心は油断ならない状態だけど、それでも皆生きている。────しかしもう一人、その帰りを待っていた人物が見当たらない。


「ね、ねえ……は? は一緒じゃないの?」

「あいつ……ここに帰ってきてねェのか」


 操の問いに左之助は唸る様に言葉を吐き出す。その様子に嫌な予感がして操は何があったのかと問い詰めた。左之助は苦々しげにと斎藤、二人と別れた経緯を説明した。


「そんな! 蒼紫様が帰ってきてくれたのに。も一緒に帰ってくるって思ってたのに……!」


 嘘だと言って欲しくて操は左之助の両腕を掴むが、沈痛な面持ちをするだけで左之助はそれ以上何も語ろうとしない。


は……、あいつはあの様な所で死ぬ奴では無い」


 蒼紫の声に操はハッとしてその顔を見上げた。しかしその表情からは何も読み取れない。今までと同じ、無表情────


「適当な事言ってんじゃねェぞ! 常識的に考えて、あの爆発の中で逃げ切れる訳ねえ……。お前はそうやって罪悪感を誤魔化そうとしてるだけだろ!?」


 左之助は自身の苛立ちをぶつける様に蒼紫の胸倉を掴む。蒼紫は、ただされるがままに左之助の怒りを受けている。薫や操が慌てて止めようとするも、左之助は静止の声を全く耳に入れようとしない。


「二人とも、そこまでじゃ」


 いつの間にか来ていた翁が左之助と蒼紫の肩に手を置いた。左之助は気まずそうに蒼紫から手を放す。


「皆よく帰ってきてくれた。今は各々の傷を癒すことが先じゃよ」


 翁の有無を言わさぬ声音に、左之助は舌打ちをして薫と共に剣心を支え歩き始めた。操達もそれに続く。白べこまでの道中、誰一人一言も発さず、重い空気のまま歩き続けた。