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────内務卿暗殺! 大久保卿暗殺!!



 それは一つの時代が終わったことを知らせる号令の様だった。 紙吹雪のように号外紙がばら撒かれ、人々はそれを競うように読み上げた。




そして都へ




「え? 剣心、昨日の夜に出ちゃったんですか」


 大久保卿の暗殺事件より一夜が明けた。
 出勤したに対し、斎藤は剣心が昨夜の内に京都へ発った事を告げた。は恨みの篭った目で斎藤を見る。京都へは剣心と行動を共にしろと言っていたのはどの口だ。
 しかし斎藤は全く意に介する事なく更に命令を追加する。


「俺は京都で現場指揮を取らなければならないから、先に行く。お前は“後始末”をしてから抜刀斎を追いかけろ。あいつは東海道を行くらしいぞ」

「……剣心に会ったなら言ってくれれば良かったのに」

「ぐずぐずしているとお前の足でも追いつけなくなるが」

「あーはいはい、分かりました。行かせていただきますよ!」


 そう投げやりに言うとは執務室を出て足早に破落戸長屋へと向かった。志々雄との闘いが一筋縄ではいかないだろう事はも分かっていた。“不安要素”は除かなければならない。────つまり斎藤の言う“後始末”とは相楽左之助の事。彼の住処は剣心を監視していた際に調べていた。



***



「弥彦お前、尾行られたな」


 そう言って左之助は眼光を鋭くした。その先にはにこやかに笑うの姿がある。この男が此処まで来たという事は、神谷道場から弥彦の後をつけてきたという事だろう。


「相楽左之助さん、どこへ行くおつもりですか?」

「京都に決まってんだろ、文句あるか」


 やや挑戦的に左之助は眼光を強めた。しかし左之助に睨まれて尚、はあの時と同じく人の良さそうな笑顔を崩さない。


「ええ、ありますとも。貴方達のような“実力の伴わない方”について来られると困るんですよ」

「なに……」

「その足りない頭で少しは考えてみて下さいよ。“相手の弱点”をつくのは戦術の基本中の基本。貴方達が京都に行けば、志々雄は必ず狙ってきます。しかし今の剣心ではその全員を守りきることは出来ないでしょう。 付いてこられても、その実力では手助けどころか彼の“精神的負荷”にしかなりませんよ」


 わざとらしく大きなため息を吐いては続けた。


「先日の斎藤さんの“猿芝居”はそれを剣心に悟らせる為だったのに、貴方達が京都へ行ってしまえば台無しです。貴方達の出る幕では無いので、大人しく東京に残ってくれませんか?」

「うるせえ! 斎藤の金魚のフン野郎にとやかく言われる筋合いはねえ!!」

「金魚のフンって……酷いですね。ならその“金魚のフン”にも劣る貴方達は尚更京都に来るべきではないと思いますよ」

「なんだと……!」


 左之助の怒りは既に沸点に達していた。激昂する左之助をさらに煽る様には挑発を続けてくる。


「貴方では私に一撃たりとも入れることは出来ないでしょうね」

「ふざけるなっ!」


 そう叫んで、左之助はに殴りかかった。しかし同時には左之助の背後に回り、首筋に強烈な手刀を加えてくる。不意をくらった左之助はぐらりと前に傾くが足を踏ん張って持ちこたえ、上半身を捻りを狙った。しかし拳は届くことなく、は空中に飛び上がると左之助の前に降り立ち、その鳩尾へと強かに足をめり込ませた。
 その衝撃に左之助の身体は後ろへと吹き飛び、長屋の壁に激突する。


「くっ……」

「だから言ったのに。お前は俺にすら勝てない。志々雄達にしたら良い“カモ”さ。お前如きに刀を使うまでもないね。態々相手してやったんだ、力の差を思い知ったら大人しく東京でお留守番してて欲しいよ」


 の口調は既にくだけたものへと変わっていた。それがさらに左之助の怒りを強める。


「くそ……ちょこまかしやがって…」

「なんだ、負け惜しみか?……それなら俺はもうお前の攻撃を避けたりしないよ。ほら、自由に打ち込んできな?」


 そう言っては嘲笑った。腰に帯びていた刀も地面に下ろすと、左之助の打撃を待ちかまえるように構える。


「うらあ……!!」


 左之助は地面を強く蹴り、大きく拳を振りかぶった。はそれをすかさず往なしたが、すぐさま左之助は二発目三発目と打ち込み、が反撃をする間もないほどに乱撃を続けた。


「すげえ、左之助。いつのまにあんな技!」

「どうだ! これならお前は攻撃することが出来ない!」


 勝ち誇ったようにそう言った左之助だったが、乱撃を終えた次の瞬間一気に青ざめた。あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、の身体には傷一つついていなかったのだ。かえって左之助の右肩からは斎藤にやられた傷が開き血が出てきていた。


「弱いね。女にも負けるようじゃ、先は見えてんだろ?」

「……何言ってんだ!?」

「あれ、剣心から聞いてなかったのか。俺は“女”だよ、正真正銘のね」


 それを聞いた一同は驚く。確かには細身だったが、それは剣心にも言える事。何よりの強さは到底女のものとは思えなかった。


「はは、だからお前らは剣心に置いてかれたんだよ。あいつも気づいたんだろ。お前らが弱点だってことにな」

「ふざけんなっ……!!」


 再び左之助は乱打をくりだした。その全てをは難なく往なしていく。


「本当のことだろ?」

「……ッうるせえ!」


 左之助は渾身の力で拳を放った。は咄嗟に上体を反らしてそれを避ける。左之助の拳がの髪を数本さらっていった。


「痛かねえ……」


 そう言って、左之助は血の流れ出る右肩に自身の拳を叩き付けた。


「……こんな傷より、剣心に弱点扱いされたことの方が万倍痛てえんだよ!!」

「へえ……」


 上体を起こしたは静かに笑い地面に置いていた刀を再び腰に帯びた。怒りで震える左之助を前に、軽い調子で肩を竦める。


「ああ、負けだ、俺の負け。避けないって言ったからなあ。ま、何を言っても無駄みたいだし、これ以上浪費する時間もないんでね。……好きにすると良いよ。京都に行きたければ行けばいい。そしてさっさと殺されてきな」

「何ィ……!」

「天性の打たれ強さに自惚れて“防御のいろは”も知らない、攻撃だけのトリ頭君はどうせ長生きなんか出来ないだろうしね」


 そう言い残して、は呆気なく去っていった。
 残された左之助に、一部始終を見ていた月岡が「お前の勝ちだ」と肩を叩く。しかし左之助は大きな敗北感を感じていた。


「くそ……アイツ、マジで強え……」

「とにかく傷の手当てをしよう、左之」

「いや、こんなところでチンタラしてられねェ! 俺はもう行くぜ。傷の手当は歩きながらすればいい!」


 荒々しく月岡から荷物を受け取ると、左之助は足早に歩き始めた。
────アイツ最後までずっと手加減してやがった。


「……強くなってやる! 京都にたどり着くまでに、絶対強くなってやる!!」




***



「今から剣心に追いつこうと思ったら走って行かなきゃなあ……」




────そう呟くと、は風に消えた。